「伝統文化をサロンで」これからの上演形式を考えながら
「新宿 京懐石 柿傳」代表取締役社長 安田眞一さん
新宿駅中央東口から徒歩30秒のところに「新宿 京懐石 柿傳」があります。表千家「残月亭」写しの茶室を備え、京懐石を提供しています。「柿傳」の建物は建築家の故谷口吉郎氏の設計によるものです。この中にある「古今サロン」で、都一中は2017年10月から「都一中シンポジオン」と題した会を続けています。今回は、「新宿 京懐石 柿傳」代表取締役社長の安田眞一さんとお話ししました。
安田眞一 一中さんに初めてお会いしたのは、広島で開かれたシャンパーニュを飲む会「クリスタル会」でしたね。
都一中 僕は飲めないですけどね、演奏で行ったんです。
安田 すごく楽しい会だったですね。一中さんは、ご子息の了中さんとご一緒だったんですがすばらしいお話と演奏で感激しましてね。その後、一中さんから「定期的に古今サロンで一中節の会をやりたい」というお話があって。
一中 安田さんがやっていらっしゃる「茶の湯同好会」の刊行物を拝見していて、講座のひとつとして、三味線という江戸文化を入れていただいたらどうかなと思ったんです。
「古今サロン」に集まった文化人たち
安田 実は父の代に「古今サロン会」というのがありまして、資料を探していましたら、面白いものが出てきましてね。これ、「古今サロン会の入会ご案内」です。日本の文化を検証する会員制の集まりをやろうじゃないかと発起人が集まったんですね。先々代の細川家のご当主・細川護貞さんが「茶の湯同好会」の会長をおやりで、哲学者の谷川徹三さん、日本陶磁協会理事長の磯野風船子さん、父の学校時代の友人で数江瓢鮎子という中央大学の倫理学の先生たちが発起人になって、「古今サロン会」会員を募ろうじゃないかということになったんです。入会金は100万円(笑)。発起人の方々が月に1度くらい集まって会合をやりましてね。食事はフランス料理にしようといって、フランスから帰ったばかりのジビエ料理が得意な料理人と、ギャルソンもいなくちゃいけないと3人くらい、マネージャーも雇って。役員会があるたびに、試食と称してフランス料理を食べながらやっているわけですよ。会が始まってないのに。
一中 豪勢な話ですね。
安田 発起人会は4、5人ですね。フランス料理は谷川先生が好きだったんですよ。会が始まったらフランス料理を作ってもらおうという話だったんです。
一中 それまではその発起人会だけのための料理ですか。
安田 そうなんです。その当時ジビエなんて普通の日本人の口に合わないですよ。昭和52年、1977年ですからね。そのときは細川護貞、磯野風船子、数江瓢鮎子、川端康成夫人の川端秀子、谷川徹三、建築家の谷口吉郎、禅の研究者の古田紹欽、実業家で俳人の京極友助、日本住宅金融社長の庭山慶一郎などの方々が入っていらっしゃったですね。目的というところに、「本財団は日本の伝統文化に関する調査研究を行い、合わせて日本の伝統文化愛好者相互の社交と親睦を図るため…持って日本の伝統文化の維持向上に寄与することを目的とする」とあります。それでフランス料理(笑)。100万円で会員募集をかけたら集まらない。さらに新しくご案内を作りまして、このときの入会金がですね、10万円(笑)。
一中 (笑)
安田 この護貞さんの言葉の下に、推薦のお言葉があるんです。最初に舞踊家の吾妻徳穂さん、「紀伊国屋書店」社長の田辺茂一さん、谷川徹三さん、俳優の森繁久彌さん。田辺さんは、「古今サロン会の集りはふだんお眼にかかれない各界の名士の方が多く、その方々の謦咳に接するだけでも、有難いし、それにいろいろの催し事では、伝統や風流が、自然と身に備わってくる感じで嬉しい」、と書いてあるんですね。「毎日を、私どもは追われている日常ですが、こういう爽やかな集りは、その中でのオアシスでもありましょう」と続きます。「自然と備わる」というのがこの会のキャッチフレーズだったんじゃないかなと思いました。一中さんから「古今サロン」を使って会をやらないかとご提案があったときに、私は非常にありがたい話だと率直に思いました。父は亡くなる10年くらい前から元気がなくなって、「古今サロン会」を続けることが困難になりまして。残念がられたんですが、「茶の湯同好会」は継続することにして「古今サロン会」は一旦閉めることになったんです。それ以降「古今サロン」というスペースがあるのにもったいない、何かやりたいなと思っていたところにお話があったので、「古今サロン会」の復活のきっかけになるのではないかなと。出会いにご縁を感じます。
一中 安田さんにお話したのも、たまたま雑談の中でね、定期的にやらせてもらえるところがあるといいなと。
安田 「赤坂浅田」の浅田さんや「新ばし金田中」の岡副さんも習っていらっしゃるというので、それじゃ聞いてみようかと。「浅田と金田中と柿傳と三つ揃ったらおもしろいから、お稽古やりませんか」と言われて(笑)。
一中 一中節の持っている魅力とエネルギーですね。いい方しかひきつけない。
安田 私はご町内のおつきあいで小唄をやっていたんですよ。新宿の旦那衆が、「銀座くらま会」に対抗して、邦楽をやったらいいんじゃないかということで、「紀伊国屋書店」社長の田辺さんが「どんぐり会」と名前をつけてくださいまして。「タカノフルーツパーラー」の高野吉太郎さん、「追分だんご本舗」の藤井さん、「花園万頭」の石川さんとかで、毎年10月に紀伊国屋ホールでおさらい会をやっていたんです。その小唄のお師匠さんがお亡くなりになって、代わりの先生が来られて小唄を教わっていた。ある日その方の写真が新聞に載っていて、河東節の人間国宝だっていうんですよ。それじゃ河東節をみんなでやろうじゃないかということになったんです。次の年(2012年)の新歌舞伎座のこけら落としに出ようじゃないかと、急遽新宿の連中15人ぐらいで集まって、特訓をやって「助六」に出たんですよ。(注:河東節は三味線音楽のひとつ。歌舞伎『助六由縁江戸櫻(通称・助六)』の浄瑠璃の一部を、旦那衆が黒御簾内で語る)
一中 「助六」は河東節の仮免許だという話がありますね。「助六」限定だから。
「都一中シンポジオン」始まる
安田 一中さんと会ったのは、河東節の名取になったばっかりだったんですよ。それから東京西ロータリークラブの「一中節合唱団」が始まって、入会させていただいて。
一中 安田さんは熱心にお稽古されてますよ。このチラシね、2回目までは第何シーズンって書いてないんですよ。こんなに続くとは思わなかったんです。安田さんもそうでしょう。3回目から第3シーズンと書いている。いろいろな方にお目にかかったときに、「三味線をやっているんです」と言うと、「聞いてみたいですね」って言ってくださる方がいらっしゃいますが、「来年の3月に紀尾井ホールで」っていうのは先すぎてね。「毎月こういうところでやっていますから」と言うと、「あ、それじゃ行ってみようかな」と言ってくださる方もあって。シンポジオンというタイトルは、ちょうどプラトンの『饗宴』を読んでいたときだったので、まさに食べながら飲みながら人間の本質を語りあうということだと思って。
安田 ニューヨークのメトロポリタン美術館の所蔵品画像が自由に使えるパブリック・ドメインを教えてもらったので、チラシに琳派の作品が使えるようになって。
一中 琳派がぴったりだったですね。琳派の盛衰と一中節の盛衰とが合うんですよ。光琳と初代一中が同世代、酒井抱一と5代目一中が同時代ですから。2シーズン目は一中節と常磐津の対比をやったんです。3シーズン目から常磐津だけの回も入れました。第4シーズンなんて4回常磐津が入っちゃった。常磐津も聞いていただきたいんです。常磐津は一人で歌舞伎のすべての役ができちゃう。歌舞伎を楽しむには常磐津をお稽古するといいんです。常磐津は登場人物を語り分けて、音楽の部分ももちろんやれるというのが醍醐味なんですね。見方、聞き方が深まるし、役者さんのセリフの良し悪しもわかる。一中節はあるところで歌舞伎と離れていますから、純粋に音楽的な深い世界を描いていく。僕がたまたま両方やらせていただいているので、それぞれの魅力をお伝えできればと思います。「古今サロン」の魅力のひとつは、谷口吉郎先生の設計、水沢工務店の施工による空間ですね。谷口吉郎先生の建築というと、昔のホテルオークラも山種美術館もないし、今訪ねられる場所は出光美術館くらいですね。音楽は空間に響くものですし、聞いている間に目に入るものも非常に重要です。魯山人が「料理をおいしくいただいてもらうために器がある」という趣旨のことを言っていますよね。魯山人の器は料理を盛ってこその器でしょう。日本の音楽も、その器となる空間が非常に大切です。「古今サロン」は椅子に座って見る床の間があって、いい意味での和洋折衷。カーペットに椅子でありながら、障子と襖が入っているから、三味線の音も浄瑠璃の声も理想的に聞こえるんです。ここで聞いていただくのが体も耳も楽じゃないかな。今後日本の伝統文化を広げていく拠点になるといいですよね。安田 最初の「古今サロン会」の出発が、いいものを皆で見たり聞いたりしよう、参加しよう、一流の先生の話を聞こうということで、グルメの会もやったんですよ。映画評論家の荻昌弘さんが盛んに主催してくださって、俳優の渡辺文雄さんとかがグルメ談義をするという会をやりまして。食ジャーナリストの岸朝子さんがコーディネーターのようなことをされていたんですよ。
一中 今は、シンポジオン以外は何をされているんですか。
安田 お祝い会とかに使っているんです。今後使い方を広げて行きたいなと思っています。
一中 安田さんはいろいろな活動をなさっていますよね。
安田 フランスのワインに関わる活動が多くて、「コマンドリー・ド・ボルドー東京」、「シュヴァリエ・デュ・タートヴァン」、シャンパーニュの騎士団と「シェーヌ・デ・ロティスール」というフランス中世の焼き肉職人の会から出発したグルメの会、「カルヴァドス騎士団」、「国際レストラン観光協会」。言われると入っちゃうんです。「シュヴァリエ・デュ・タートヴァン」というブルゴーニュの騎士団の叙任式は、フランス・ブルゴーニュにあるクロ・ヴージョの修道院で450人くらいの大晩餐会です。サービスは近所のおばさんで、両手にお皿をたくさん持ってくる。すごく楽しい会ですよ。
一中 安田さんは地についた文化の空気を吸っていらっしゃる。文化的な好奇心が旺盛ですよね。本当の意味での風流人だと思うんです。造詣が深くて包容力のある兄貴ですね。安田 「シュヴァリエ・デュ・タートヴァン」の叙任式は中世の晩餐会みたいで、始まりはファンファーレ。そのとき羽織袴を持っていったんですよ。ところが全然袴の付け方知らなくて、着付けのDVDを持って行ったら再生方式が違って見られなかったんです(笑)。
一中 無謀と言えば無謀ですね。でもノーベル賞を受賞された京都大学の本庶佑名誉教授も着物姿がよかったですよね。外国でも和服でずっと通せますよ。今はすごく楽な草履もあるしね。ヨーロッパに行くと、文化が継続しているのを感じるんです。日本は明治期に文化が断絶して、近代国家として日本の歴史はそこから始まったということになっていて、今の日本では、普通の近所のおばさんが文化的な伝統に基づいたお給仕はできないでしょう。ヨーロッパは自分たちの文化に対して誇りがある。ただ、日本の音楽の中には文化が継続しています。江戸時代がどうだったかというのを感じられる。シンポジオンでは、「ここに月1回金曜日の夜に来てくださる方は、よほど知性と教養のある方」とよく言っているんです。常磐津と一中節を二つとも専門でやっているので、一緒にやると、そのほかのこととの違いが明確にわかるようになる。両方の違いでリソースフルになる。掘る井戸が二つあるわけですから、楽しいんですよ。
一中節と常磐津節、それぞれのおもしろさ
安田 一中さんが常磐津文字蔵さんとしてお出になるテレビ番組は必ず見るんです。こないだも『戻り橋』っていうのを拝見しました。すばらしいですよね。
一中 あのときは文字蔵にしか見えない。
安田 もうちょっと大映しにしてくれるといいんですけど。
一中 いやあれは踊りですから、地方を映すことはないんです。『戻り橋』は踊りの方が何度か地方の前を通ることがあるので、たまたま映ったんです。
安田 あの踊りの方たちは有名なんですか。
一中 ええ、男性は花柳基さんというとっても上手で熱心な方です。女性は水木佑歌さんっていう若手です。すばらしい踊りだったんで番組をお知らせしたんです。歌舞伎では月に25回は同じ踊りをやるわけですから、舞台の経験が豊かになる。舞踊家さんは1回だけの公演ですから、前にやったことがあってもなかなか大変です。役者さんの踊りと舞踊家さんの踊りは違います。役者さんが舞踊家さんのように丁寧に踊っていたら、いけないらしいですね。亡くなった歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんは舞踊家さんとしてもすばらしかった。本人に伺ったことがあるんですが、「舞踊家として出るときは役者の踊りになっちゃいけない」と言うんですね。三味線も舞踊があって演奏するときと、素浄瑠璃として弾いているのはまったく違う。踊りが踊れる余地を残すというか、踊りの方が生きて、いかに素敵に見えるかをできなければ踊りの地方としては失格です。自分だけうまそうに弾いちゃっちゃね。うまくないのにうまそうに弾くのは尚更ね。踊りとか役者さんを生かすために地方がいる。違うのはまず心構えです。役者さんを生かす、そういう気持ちで弾いていますね。素浄瑠璃のときに、「歌舞伎座でお弾きになるのとぜんぜん違うんですね」と言われたことがあります。そりゃそうで、素浄瑠璃は音だけですべてを完結するわけですから。役者さんが踊っているのにそれやっちゃうと、すごく邪魔になる。例えば、歌舞伎でも踊りでも大道具がありますね。大名の部屋に屏風を立て回したり。その屏風に水墨画とか描いてある。東京国立博物館から雪舟の絵をそーっと借りてきて、今日は本物出しちゃおうとそこにおいても、たぶんね、「なんだ、こんな地味なもの持ってきちゃって。ダメだこりゃ。はけてはけて」って言われる。大道具さんが描いたのを使うから、大名屋敷に見える。雰囲気が出る。本物の等伯持ってきても、「ダメだこれ、使い物になんないぞ」って怒られちゃう。一中節も、等伯を見るのと同じですから、あまり大きな舞台に載せちゃダメなんですよ。ですから、「古今サロン」のような場所は得難いですね。唯一無二だと思います。本当はバイロイト音楽祭みたいに7年待ちぐらいでシンポジオンに世界中から来てくれるようにしたいですね。一中節を聞きたかったら「古今サロン」でしょう、ということにならないといけない。
安田 それはすばらしい(笑)。夢は大きく。
本来の三味線音楽の楽しみ方に戻っていく
一中 椅子が硬くて窮屈でもワグネリアンはバイロイトで見るのが憧れですから。ところで「古今サロン」の名前の由来はなんですか?
安田 『古今和歌集』からですね。世代を超えて人が集うということも込めています。
一中 『古今和歌集』って今から千年以上前にできたものですよね。それがいまだに刺激を与え続ける。いいネーミングですよね。第6シーズンは、安田さんのアドバイスをいただいて、毎回一曲を通してお聞きいただこうと曲を選びました。演奏は20分くらい。お話もいろいろしたい。曲だけお聞かせしても身近にないものですから、曲を楽しんでいただくためのお話のつもりなんです。1回目の一中節「猩々」は、能から来ていますけれども、いちばん大事なのは中庸の徳。それを言いたいわけです。よいことが起きそうな雰囲気を音で表した「吉兆の相方」というのも聞きどころです。2回目の一中節「泰平船盡」は、誰が船というものを考えたのかを説きながら、船を考えたことによって逆賊を退治することができた伝説の黄帝という人を語っています。皇帝を倒せば逆賊が皇帝になるかというと、そうじゃない。民のためを思って統治するのが皇帝であって、私利私慾がある人はなり得ない。どんな地位につこうと逆賊なんです。3回目の常磐津節「どんつく」って変な題名ですけど、間抜けな人をいう江戸の言葉で、この人が大事な真実を言う。槃特という釈迦の弟子がモデルです。大事なのは哲学者のジャック・アタリの利他主義に通じる言葉。「そさまええなら、おんらもええ。それで世の中どんとよい。どんつくどんつくどんつくどどんがどん」と、利他の精神をすでに江戸時代に歌っている。4回目の一中節「松襲」は、松がなぜおめでたいのかを歌っている。松竹梅で松がいちばん偉い。なぜ木として位が高いのか。常に緑で色を変えない。人間も辛いことがあってもいいことがあっても、常に瑞々しい松の色を見習って、時雨があっても紅葉しない、優しい心を持つことを歌っているんですね。こういうものを歳旦浄瑠璃と言います。5回目の常磐津節「祝言式三番叟」は、元は能の「翁」ですね。「翁」なんてすごいものをどうやって常磐津にしちゃったんだろうというのを聞いていただく。江戸時代、三味線音楽の驚異的な発展があった。当時、能と三味線音楽はまったく交流できなかったんです。能の人がお囃子を歌舞伎の人に教えただけで切腹させられるくらいの格式がある。初期の芸大では定期演奏会では能から先に演奏したそうです。最後は一中節「松羽衣」です。天人は純粋無垢なんですね。人間が「天人の舞を舞ってください。でも羽衣を返したら帰っちゃうんじゃないの」って疑うんです。そしたら、「疑いは人間にあり」と。「疑いは人間の世界にあるだけで、天上界には偽りはないんです」と言われて、人間が非常に反省するんですね。
安田 「都一中シンポジオン」が、私どもの店で継続して開かれるのはすばらしいことだと感じております。歌舞伎も美術館も再開されたんですが、今一つ元気がないですし。企業の元気が非常になくなっているんですね。もう商売やめようかというところも多いですしね。ウィズ・コロナって言いますけど、それで我々がへたっちゃったらしょうがないんで、日本の伝統的なものはずっと火を灯していかなくてはならないと思っています。
一中 本来の三味線音楽の楽しみ方に戻っていると思うんですよね。限られた人数の方に楽しんでいただくというのは。
安田 日本料理屋さんも花柳界も大変ですよね。
一中 なんのために食事をするのか、芸者衆を呼んだりするのか。本来のあり方を考え直す時期なんじゃないかと思いますね。芸は身を助けるという言葉がありますね。何かしらの芸があれば、お金を稼げるよという意味で使われがちですけれども、本来は、芸をすることで健康になり、心が豊かになるということなんですね。世阿弥の『花伝書』に「芸能とは寿福増長の基、加齢延年の法」と書いてあります。芸能は、長生きするためのものでもありお金が儲かる礎である。お金を儲けるために芸能をやると、「この道は廃れるなり」と書いてあるんです。みんなが喜んで楽しい時間を過ごすっていうことが芸能の目的で、その結果経済がよくなる。経済のために何かしようとするのは、発想が逆です。
安田 うちの茶室では30人から40人で集まってやるんです。4時間以上、忙しい時間を割いて交流するわけですね。現代は大寄せの茶会というのがもっぱらやられるようになったんですが、本質は少人数で心を通わせるというところに意味があってね。「都一中シンポジオン」も人数は少なくなるかもしれないですが、密度が濃くなるんじゃないかなと思うんですね。
一中 コロナ禍がおさまったら、ニューヨークのメトロポリタン美術館でシンポジオンをやるということでどうですか。柿傳さんの仕出しで。
安田 スペイン風邪が収束するのに3年かかったと言いますから、3年後にメトロポリタン美術館でやりましょう。(2020年8月 新宿・京懐石柿傳にて)
安田眞一(やすだ しんいち)
昭和23年(1948)東京生まれ。早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。「新宿・京懐石 柿傳」3代目主人。安与商事株式会社、大安商事株式会社・代表取締役社長。「郷土料理 くらわんか」「手打そば大庵」「柿傳ギャラリー」を経営するほか、一般社団法人 国際観光日本レストラン協会 会長、新宿東口商店街振興組合 理事長なども務め、業界、地域の発展に尽くしている。ワインに造詣が深く、シニアソムリエの資格を有し、コマンドリー・ド・ボルドー東京副会長、表千家不審菴評議員、茶の湯同好会 理事、東京西ロータリークラブ会員など各種方面でも活躍している。
新宿 京懐石 柿傳
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