都一中音楽文化研究所

一中節とはItchu-bushi

一中節の歴史と特徴

成り立ち

一中節は江戸浄瑠璃系三味線音楽の源流。初世都太夫一中は慶安三年(1650年)に京都明福寺住職の次男として生まれ、当時京都で盛んだった様々な三味線音楽を次第に統一し、のちには江戸にも進出して一中節を確立した。江戸時代には「ねずみの糞と一中節の稽古本のない家はない」と言われるほど、一中節は一世を風靡し、江戸の町人の上流階級に愛好され楽しまれた。
300年以上経った現在でも初世の音楽性と精神は忠実に伝承されている。さらに、初世の音楽は弟子たちに受け継がれ、その後常磐津、清元、新内、富本等へと発展し様々な流派の源流となって、三味線音楽全体に多大な影響を与えた。一中節は日本の音楽史上重要な地位を占め、芸術的にも非常に価値の高いものとされている。

音楽的特徴

一中節は中棹の三味線を用い、三味線に合わせて浄瑠璃を語るスタイルをとる。
音楽的特徴は、三味線音楽の中でも特に繊細で優雅な雰囲気を持っていることで、その音は、これ以上足したり引いたりすることができないほどに洗練され精緻に組み立てられている。戦国の世から半世紀、平和が訪れ芸術文化が開花し始めた時期に初世一中は、人々の心の中にお経に代わって音楽で極楽浄土を現出させようとした。その代表的な曲「辰巳の四季」では、京都宇治の風景を極楽浄土に見立て、水面に映る光の輝きの情景などを、あたかもその200年近く後にヨーロッパで誕生し開花した印象派芸術――モネの絵画やドビュッシーの音楽――のように表現している。

近松門左衛門が一中節のために創作したと言われる「小春髪結の段」では、恋する女性の心のひだまで情感込めゆったりとした上品な旋律で表し、現代でも聴く人の涙を誘う。また「猩々」(しょうじょう)や「石橋」(しゃっきょう)といった曲では、深い精神世界を音楽で表現しつつ聴く人に夢や希望を与える効果をもたらしている。その他「小町少将道行」「夕霞浅間嶽」など約80曲が現代に伝わっている。