はじめに
日本が世界に誇れることの一つは、二百数十年間戦争をしなかった時代があることです。
戦争をしないと庶民が豊かで幸せな生活を安定して営むことができ、自ずから穏やかで優しく楽しい文化が花開きます。
それが江戸時代です。
現代の日本文化と言われるものはすべて江戸文化だと言っても過言ではありません。古事記も万葉集も源氏物語も、賀茂真淵、本居宣長などが、江戸時代の安定した社会情勢のもとで長い年月をかけて研究をすることができたおかげで、現代の私たちがそれに親しむことができるからです。そして、江戸時代は、文学や音楽などの芸術にとどまらず、数学、医学など自然科学の分野でも世界最高の水準だったことが証明されています。江戸時代に生まれ、その高い教育水準によって熟成され洗練された一中節は、日本文化のエッセンスを感性で身につけることができる音楽です。
音楽を演奏するということは、コンマ2秒先の理想的な未来の響きを明確に思い描き、コンマ2秒後にそれを確実に実現するということです。一中節を稽古することは、日本文化のエッセンスのなかに溶け込んでいる、理想的な未来を創る英知を感じとり、確実にそれを現実にする訓練と言うことになります。
一中節始祖の独創性
初代都一中(本名青地恵俊)は、1650年に京都で生まれました。生家は御池通り境町に現在もある明福寺という浄土真宗のお寺です。幼少から父三代目住職のもとで仏教と学問の修行を積み、兄の早世とともに五代目住職となります。やがて親鸞の唱えた絶対他力の真理を感得し、和漢の教養を身につけた当時一流の教養人としての地位を確立しました。 同世代には竹本義太夫、近松門左衛門、尾形光琳など、多くの近代日本文化の礎を築いた人々がおり、彼らとともに、ある種のサロン的雰囲気を楽しんでいたと思われます。その中で初代都一中は、天才的な音楽の才能に目覚め、当時都で大流行していた様々な三味線音楽をことごとく身につけていきました。そしてそれらを仏教哲学と伝統的美意識により昇華させて、革新的な音楽体系を創始し、都一中と名乗ります。その音楽はたちまち都の人々の心をとらえ一中節と呼ばれるようになりました。 一中節の原点と言われ一番大切にされている曲「辰巳の四季」は、古今和歌集の撰者 紀貫之の和歌「春霞 たなびきにけり 久方の 月の桂の 花やさくらむ(後選集・春上・一八)」から始まります。元禄時代の音楽文化を代表する初代都一中が、なぜ、平安時代前期の歌人紀貫之の和歌を冒頭においたのか。そこには初代都一中の新しい革命的な音楽を創始するに際しての秘められた深い想いがありました。 紀貫之が記した古今和歌集の仮名序は「歌の様を知り ことの心を得たらむ人は 大空の月 を見るがごとくに いにしへを仰ぎて 今をこひざらめかも」と言う言葉で結んでいます。 現代語に訳すと「和歌と言うもののあり方を知り、その心も感じ取ることが出来る未来の人は、大空の月を仰ぎ見るように遠い昔を敬い、『古今和歌集』が編まれた今この時を想 い慕わないことがあろうか。」と大方このような意味になるでしょうか。
初代都一中は、古今和歌集の時代を大空の月を仰ぎ見るように想い慕っていました。和歌を代表とする日本の伝統的な美意識を真に理解していたからこそ、後世に古典の中の古典と言われる音楽体系を確立することが出来たのです。貫之の特に月を讃える和歌を、自身の全てを込めた作品の冒頭に置いたのは、初代一中の貫之に対するオマージュだと言えます。そして、歌論としての美意識を音楽の美意識としてとらえ、それを完成させたことは真に独創的と言えるでしょう。
一中節という音楽
音楽は心を豊かにし、世界を幸せで満たすものです。 特に一中節は、稽古をすることが鑑賞することとして発展してきた音楽なので、稽古に おいて心の豊かさをより深く実感することができます。稽古の本来の意味は、長い歴史 の中で磨き抜かれた感性に触れ、今なすべきことは何かを新しく知ることです。それは 孔子の言う温故知新であり、ニーチェは「誰でも知っている事の中に、誰も気づかなかったことを見つけて新しい価値を与える人が、真に独創的な人である」という言葉を残し ています。 一中節は、稽古をすると、その理想的な呼吸法により脳に充分に酸素が行き、心身が整 い、自ずと快い生活習慣が身につくので、江戸の上流階級の嗜みとして、現在まで大切 に伝承されてきました。
三味線の調弦
一中節は三味線とともに物語を語る音楽です。 三味線の調弦の特徴は、基準になる音高(ピッチ)をGやEなど特定の音に決めないで、楽器自体が機嫌が良く美しく響く音に定めることが、何よりも優先されることです。 その理由は一番低い音を出す一番太い絃が振動すると、棹の上部に微かに触れる「さわ り」という特別な仕掛けによって得られる、風のそよぎや波の音に似たような独特の響 きが三味線の命だからです。 そして三本の弦の周波数が正しく整数比に調弦されると、その「さわり」が美しく響きます。三味線を調弦するということは、周波数の整数比と言う自然科学的数値を、心身で感じとるという事なので、まさに大自然の法則に心身を同調させることになります。これを毎日行なうことで自然に心身の調和が保たれます。
浄瑠璃とは
一中節は物語を語る音楽で、その語りのことを浄瑠璃と言います。瑠璃は仏教の世界 では極楽浄土を飾るとされる『七宝』のひとつで『幸運のお守り石』として古くから人々に愛されてきました。浄瑠璃によって心が瑠璃のように浄らかで透き通り、曇りのない 心で正しく先を見通せるようになると言われています。それが浄瑠璃を語るということ の真の意味です。
「間」とは
一中節は繊細な間合いで成り立っている音楽なので、稽古をすると「間」を測る感性が磨かれて自然に「間」がいい人になるようです。仕事を進めるには、まずなによりも「間」の良さは大切な要素です。 人との出会いや天候も含めすべてにおいて「間」がいいか悪いかが仕事の進行に影響します。 「間」がいいということは偶然をもコントロールできるということで、「運」がいいということです。
一中節と経済
音楽は心を豊かにすると申しましたが、心が豊かになれば自然に生活が豊かになり経済が豊かになります。経済とは「経世済民」の略で国を治め民を救済することですから、まさに音楽には本来の意味での経済を実現させる力があり、民を富ませ国を富ませる力があります。 六百年ほど前、世阿弥は「そもそも芸能とは諸人の心を和らげて、上下の感を為さん事、寿福増長の基、遐齢延年の法なるべし。極め極めては諸道悉く寿福増長ならん」(芸能・ 芸術とは、すべての人の心を豊かにし、上下等しく感動を与えるもの。幸せの根本であり、長寿の秘訣である。つきつめれば、芸道はすべて幸せをもたらすためにある。『風姿花伝』第五奥儀讃嘆云 水野聡訳)と書き残しています。 さらに、「寿福増長の嗜みと申せばとて、ひたすら世間の理にかかりて、もし欲心に住せばこれ第一道の廃るべき因縁なり。道のための嗜みには寿福増長あるべし。寿福のための嗜みには、道まさに廃るべし。道廃らば寿福おのづから滅すべし。」(幸せを呼ぶ手段であるからといっても、ただ利を求め欲得にまみれてしまえば、それこそまず道を廃れさせる第一の原因となろう。道のために努力するところに、幸せはある。己の幸せのためにのみ励むなら、道は廃れるばかり。道のないところに、なにゆえ幸せがあろうか。水野聡訳)と。心の豊かさが自ずと導く経済の豊かさでなければ、どんなに豊かになっても幸せにはなれないということです。
一中節の情報処理能力
現代はさまざまな情報が氾濫している時代といえます。情報が的確かどうかの判断が極めて重要でかつ難しい課題です。検証に検証を重ねることはもちろん大切ですが、その前に必要なのは直観的な判断力ではないでしょうか。 感性による情報処理能力は瞬時に膨大な情報を処理することができます。 一中節の稽古は一音一音の響きの意味を瞬時に的確に判断する訓練なので、自ずと感性の情報処理能力が磨かれます。
一中節とAI
東京大学の名誉教授で美学者の今道友信先生は「二十一世紀のリーダーの条件は、常に崇高な芸術に触れていること」と記されています。一中節では「教養のある人とは、無意識に自分も他人も幸せにする行動しかしない人」と定義して、稽古の目的をそこにおいています。孔子が学問の目的とした「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず。(思うがまま好き勝手に振る舞っても、それが人として理想的な行動にしかならない)」という境地です。 AIは人間の行動、心理、考え方を自動で学習して進化して高度化していきます。ですからAIが人間にとって脅威になるか理想的な存在になるかは、人間次第であると言えます。AIの発達は、人類の存続にとって最も切実な問題と、その明確な解決法を示すに至りました。 二十一世紀のリーダーは特に一中節に触れていただきたいと思います。
一中節とSociety 6.0
Society 5.0とはサイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融 合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する新たな未来社会です。 狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第五期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。 一中節はその次の社会であろう教養社会(Society 6.0)を、三百年前から目指して来ました。 江戸時代から現在まで各時代を担うリーダーたちが一中節を稽古しました。一中節を稽古することは真の教養人の嗜みでした。近代で一中節の愛好者として有名な方は、出光興産の創始者出光佐三です。出光佐三は「出光興産は、石油を売ってお金を儲けるというような瑣末なことをするための会社ではなく、人間の働く姿の美しさを世界に示すための会社である。」として、事業経営そのものを美に奉仕する芸術の創作と位置づけました。
一中節と大学教育
2018年6月19日、一般社団法人日本経済団体連合会は、今後のわが国の大学改革のあり方に関して、「文系・理系を問わず、多様で幅広い知識と教養、リベラル・アーツ を身につけ、それを基礎として自ら深く考え抜き、自らの言葉で解決策を提示することの できる人材、すなわちイノベーション人材が求められている。」と提言しました。 これからは、一中節を人類の理想的な未来を創る人材育成の為に、日本文化のエッセンスとして各大学のリベラルアーツ教育のお役に立てていただければ幸いです。