日本の美術と音楽「 間を見る、間を聞く」
「青龍堂」代表取締役社長 小山健二さん
小山健二 これは上村松園の「うららか」という作品です。この蝶を見上げている構図がおもしろいんですよ。遠くから見ると蝶が見えなくて、寄っていくと見えてくる。
都一中 きものはどういう生地なのか、軽そうです。松園の絵で、「あれ、鏑木清方?」と思うものがありますね。
小山 初期は特にやさしい表情ですからね。これは、松園らしくなってくるちょっと前の作品です。
一中 きものの柄のつけ方を知っているから、着たらどういうふうに見えるかわかるわけですよね。
小山 きものはしっかり描くんです。逆に、人の肌の質感や髪の毛とかはふんわりしている。
一中 このあいているところに何かのグラデーションがありますが?
小山 裏彩色といって裏にうっすらと金を入れたり彩色をすることもあるんですが、これは薄墨を入れているかもしれません。一中節じゃないけれども、余韻、余白の感覚ですね。これだけ画面の上をあけている。今の作家だとこの蝶ももっと大きく描くかもしれませんね。
一中 蝶は見えるか見えないかの大きさですね。
小山 「うららか」というタイトルですが、その付け方にも響きがあります。
一中 音との関連があるんですね。きものも仕草もわかっている、そういう文化が染み込んでないと描けない。今はそれがなくなっちゃった。実際にきものを着てたから描けるんですね。浮世絵も非常に研究している。
小山 あとは髷も、この人は本当にわかっていて、髷のことだけを書いた文章もあるんです。
一中 『ベルサイユのばら』を描いた漫画家の池田理代子さんに会ったとき、『源氏物語』とか日本のものが描きたかったんだけど、装束が難しすぎて、あっちへ行っちゃったといっていましたよ。
小山 日本の物語だと、うるさいことをいう人がいるからですね。
一中 小林秀雄と一緒ですよ。モーツァルトのことは書くけど一中節は語れない。何いわれるかわからないから。
小山 この絵の時代のよさって、品格ですね。技術はあるんですけれども、それをひけらかすということがないんです。
一中 品がなくなっちゃう。これはおいくつのときの作品ですか?
小山 これはまだ若いです。松園女史と書いてありますから、40代くらい。若いときには女史がついているんです。僕はなぜ明治大正昭和の作家が好きかというと、人格がにじみ出ている作品があるからです。人間性がすごく出る。そのうちその人が描く線にも惚れてくる。人物が作品のおもしろさになる。圧倒的にこの時代の人たちがおもしろいんです。海外の作家ではピカソもそうなんですが。
一中 人柄といえば、ピカソも人柄丸出しの人で、アンソニー・ホプキンスがピカソを演じた映画を見たら、人間として最低だった(笑)。
小山 そういうおもしろさがあるんですよ。
一中 ひけらかさないゆえに品格がある。本当に一中節の精神です。こんなに弾けるとかこんなに声が出るとかいうことを絶対に見せちゃいけない。見せたら品がない。
小山 だから余白とかにも出てくる。
一中 空気感が伝わる。
小山 いい作品を飾るとその場の空気が一変するといいますね。
一中 芸術は影響力が強いです。こういうものを見ていることによって、ものに対して何を感じるかについて、無意識に影響を受けていると思います。
小山 いい絵は動きが見えてくるんですね。この蝶がひらひらと舞っていって、きものがしっとりと動きそうに見えてくる。つまらない絵というのは、静止画というか、ぴたっと止まっているんです。
一中 それは予兆というようなものですか。
小山 一中節のお稽古をしているとよく先生が、「この言葉の意味を考えて。こういうシーンだからこういう意味です」といわれますが、それがよくわかりますね。
一中 言葉にも絵にも思っていることが出ますよね。
小山 作家がこのタイトルをつけたのは、こういうことが描きたかったんじゃないかと、伝わるのもおもしろいです。
一中 画題を決めるのはたいへんですね。文学とかがヒントになるんでしょうか。
小山 もちろんそういうこともあると思います。
日本の絵画の魅力は軸装で生きる
小山 松園の絵に「松園女史」とか「松園女」と書いてある時代の絵は目が丸い。その後、目が細くなる。それが円熟期、いかにも松園な絵です。
一中 ああ、そうですね。
小山 この辺が特徴的ですね。東京藝術大学が持っている『序の舞』には松園と書いてあります。これが大きい作品なんですね。(呉服業の)市田が持っていた作品も大きかったですが、そちらは軸なんです。
一中 そんなに大きいの。
小山 松園はけっこう大きい作品を描いてますよ。川合玉堂の作品でもた大きいものがあります。昭和5年の日本美術展覧会(通称ローマ展)に出品したものなんです。(大倉財閥2代目でホテルオークラ創業者の)大倉喜七郎さんがお金を出していたんですね。ローマですごい床の間をつくって、そこに日本画を飾った。
一中 写真を見たことがあるけど、とんでもないものをつくっていますね。
小山 その作品は、もともとホテルニューオータニのもので、それをお客さんのところに納めたんです。
一中 川合玉堂がローマ展用に描いたものなんですね。
小山 そうなんです。研究している方が、「その作品はローマ展の文字だけの資料に載っている」と教えてくれた。昭和4年11月くらいに描いたということだったけど、はっきりしたことはわからなかった。金襴みたいな立派な紙が軸の巻き紙に使われていたので、これは普通じゃないと調べてみたらわかったことです。僕らの仕事って、推理していたことが後から証明されて価値があがるとか、そういうことがあります。
一中 大倉さん一人でスポンサーになったという財力もすごい。見上げたものですね。
小山 ローマ展の時に、横山大観の『夜桜』の屏風も出品されていて、いい作品が残ったんです。ホテルオークラの財産ですよね。大観の中ではいちばんいいといわれています。なかなか展示されないですけれどね。(ローマ展に出すので)気合も入っている。
一中 それは力となって作品に出ますからね。
小山 僕らもそういうものを探したいですね。作品に思いがこもっているから。
一中 軸って巻いてしまうでしょう。見たいときに出して掛けるのがいい。
小山 今日は一中先生が来るから木村荘八の『助六』を掛けようか、となりますね。
一中 この室礼、つまり軸を掛けるのは床の間がなくてもできますね。和室でなくても、十分できる。
小山 大正製薬の上原さんの修善寺にある美術館に作品を納めに行ったときに、アクリルケースみたいなのに軸装の作品が入っていて、軸のままの方がおもしろいんですよ。表具があるから。
一中 この木村壮八の「助六」の表具もね、おしゃれですよね。
小山 そのまま洋間にポンとあってもいいでしょう。洋間に軸を飾る仕組みを作ってみようと思っているんです。
一中 中を変えればいいですからね。
小山 このまま軸を裸で掛けることに抵抗があって。
一中 それに豊久将三さんの理想的な照明をつけたらいいでしょうね。
小山 日本の美術のおもしろさを海外に訴えるには、この軸という形態がいちばんいいと思うんですよ。
一中 これは軸先に模様がありますね。
小山 お茶のほうでは有名な裂地の柄で、花兎金襴という模様です。
一中 僕、表具屋さんで生地を選んで三味線の袋を作ってもらったことがあります。
小山 金の更紗とか高いですよ。ちょっと買ってみようかなと思ったら、200万円。
一中 更紗じゃないけど、紺地に金の家紋を入れたものを一中節の名取の免状として額装したこともありますね。
小山 そういう生地もとてもおもしろいですよね。
一中 この軸の一文字と風帯というのは同じ生地で合わせるものなの?
小山 必ずしもそうじゃないですよ。
一中 描かれている山は筑波山ですね? 助六の舞台は新吉原だから。
小山 この人は自分が好きだから描いているので、描かされてるわけじゃない。
一中 相当わかっていないと描けないですね。実は筑波山をおととい佃島から見たんです。一中節の『廓の寿』の歌詞に、吉原からは筑波が見えて、富士が見えるというのがある。白い馬に乗って帰ってくる。そういう歌があるんです。
小山 そうなんですね。
一中 夏には筑波山からの涼しい風が隅田川の上を通るんですよ。大川端には江戸の人が夕涼みに出た。その風を筑波おろしとか筑波ならいというんですね。芝居の背景には筑波山は描いていないはずですよ。助六の舞台は店先だから。筑波山が見えるということは新吉原。この間この絵を見せていただいたときは気がつかなかったです。そういうことがだんだん読み取れてくるとおもしろいですね。
小山 下田に納めた「道成寺」は、お能の舞台の絵ですが、白拍子の目線を辿るとその先に桜がある。
一中 実際の道成寺の景色ですよ。相当理解がある。
小山 前田青邨も武者の甲冑とか箙(えびら)とか詳しかった。箙なんて普通の人に読めないですよ。ブリジストン美術館が持っている昔の映像で前田青邨のものがあったんです。『出を待つ』という作品を描いている映像で、何をしているかというと、(彫刻家の)平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)がやっていたように、役者の裸もスケッチして、装束だけも一生懸命描いていた。装束も理解しないといけないんですね。
一中 装束を着けている人をいきなりスケッチするだけじゃあダメというのは、当然なんでしょうね。
小山 十分描けてると思いますけどね。
一音一音に意味を出せるのが日本の音楽
一中 音楽は部品でできているから、イメージを稽古して一字一句の響きを磨き上げていくんですね。それが次第に一つの言葉、一つの歌になっていく。部分部分、一瞬一瞬の精度の高さの連続であって、全体の構成力もあるんだけど、一音一音に意味が出せるのが日本の音楽ですね。それには一音一音の響きとか奥行きとかそれが何よりも大事で、雨といったときにそれが春雨なのか秋の雨なのか、「これは」と自分が名乗るときに、貞光なのかこの辺りに住む漁師の白龍なのか(下記注参照)、ふた文字めの「れ」で決まる。その人のここに至るまでの人生が、すべて「れ」一文字にあらわれるというんです。
小山 ちょうど僕がお稽古している『泰平船盡(たいへいふなづくし)』というのに蚩尤(しゆう)という悪い奴が出てくるんですけど、蚩尤という名前も腹黒そうにいわないといけない。
一中 その響きがね。
小山 先生のお稽古は一つ一つの言葉、細部をちゃんとやっていく。
一中 小山さんは普段からいいものに触れているから、非常に浄瑠璃の理解が深いし表現ができちゃうんですよ。美術に触れているので違うんだなと思いますね。ビジネスに優れている方、いいビジネスをやっている方は浄瑠璃の節に出る。まあ、一中節を習おうなんて人に、よこしまなビジネスをやっている人はいない(笑)。
小山 逆に先生に絵の話をするとわかってくれる。柿傳さんの「都一中シンポジオン」に僕が絵を持っていって先生とお話ししていますが、これが30回以上続いたのも、わかってくれるからですね。絵を理解してくれるコレクターの人に作品を勧める仕事をしていますから、コレクターの人のような反応ですね。すごいコレクターなんじゃないかなという感じですね。ものを見たときの見方がいい。
一中 日本の芸術だけじゃなくて、ピカソでもレンブラントでもそうだと思うけど、西洋の音楽でも、芸術ってもので共通しているんじゃないですかね。
小山 感じる力があるかないか。表面を見ている人が多いんじゃないですかね。本物に触れている人って感性がいいですよ。
一中 やっぱりそうでしょうね。ひたすら触れるしかない。
小山 絵描きさんも、昔の作家が好きで、近づきたいという憧れがあって、いいものが生まれる。好きこそものの上手なれじゃないですけど、飽きずに触れる機会があるということじゃないですかね。
等伯の『松林図』と一中節は同じ世界を描いている
一中 演奏者として音のクオリティを上げたいという思いがいつもありますね。学生の頃に大学の隣が東京国立博物館で、学生証でタダで入れたんですよ。毎日のように行っていてね、雪舟の『秋冬山水図』が大好きになっちゃった。その後、等伯の松林図はテレビで見たんですが、ものすごい衝撃を受けましたね。これは一中節みたいな、日本の根源だと思って。雪舟の方が遠い存在なんですよ。
小山 そうですね。中国風ですからね。
一中 見えるような見えないような、霧の中の松。その空気感が一中節のようだと思った。一中節のもっとも得意とする世界なんです。水鏡に映る朝日に輝く山吹、その表現を三味線と浄瑠璃ですることに成功した。それからお香の煙の中に亡き恋人が見えるような見えないような、あれ錯覚かなと思ったりしながら、それが次第に実体となるとか。あるいは桜がしきりに散っている中から恋人の姿がだんだんと見えてくる、音のハコビのしかたがね、そのハコビで初めはよく見えないけど、だんだん実体化してくるというのが表現されているのと、等伯の霧がかかっているように見えるのが一緒だなと。
小山 そのうち見えなくなりそうな、動いていきそうですよね。
一中 テレビの美術番組ですごく上手に表現していたので、僕はそれで感動したんです。そういう景色が日本にはあった。京都に行って、たまたま窓から東山の方を見ると確かに「峰にわかるる横雲の空」。これを見るからああいう歌ができる、これを定家が見ていたんだなと。日本の美術の、特に線に音を感じますね。昔、新橋の『花蝶』さんに演奏にいったとき、控え室に案内されて三味線を置いたところに前田青邨さんの海老の絵がかかっていたんです。その海老のヒゲの線が見事でね。「お前にはこういう音は絶対に出せないだろう、ざまあ見やがれ」っていっているみたいでね。「ちくしょう、このジジイ」と思って。そういうすごさがありますね。あの線は描けないですよ。
小山 そこが感じられるかどうかですね。それで広がりが変わってくる。芸術ってそうだと思います。感じる心が開いているとわかるのかも。
一中 気になった作品は、じいっと黙って、3分ただ見ているとふうっと何か見えてくる。何かが来るまで見たいなと思うし、来ないときもある。音楽もそうなんですね。違うもの、中にあるものが感じられる。カール・ベームの指揮のモーツァルトの交響曲41番『ジュピター』もね、突然神の御技を感じたんです。この世を創造したもうた神の御技が感じられたんですね。
小山 それは準備ができたからでしょうね。僕らはドーンと印象に残るのは飽きるんですよ。インパクトがあると、おっと思うんですが、ちょっと見てるともういいですってなる。反対に、最初目立たないけど後でじわーっと来る作品があります。この線がたまらないとか、こちらもその世界観にやられちゃって。
一中 たくさん見る、たくさん聞く。自分の感覚で。これは何の何某でという知識じゃなくて、純粋に自分の感覚で感じる。それはどういう感覚でもいいんですよ。青邨の絵を見て海老食べたいでも。自分の感覚だけになるときが必要なんじゃないかな。
小山 そのあとに知識を入れるとすごくよくわかります。この絵がどういう状況で描かれたのかを後で知ると。
一中 そうすると知識情報を覚えられるんですよ。
小山 日本の人は逆に文字からいっちゃうでしょう。興味をもってからバックボーンに入っていくとすごくいいと思う。
一中 学校の歴史の授業でも、人物像に感動させてから、この人はこれをやったと教えればすごく覚えられると思う。何年に保元の乱を起こしたのが誰で、平治の乱は誰とか、そのとき誰と誰が敵対したとか、そういうのを覚えようとしても、まったく無味乾燥ですよ。いい国作ろうとか年号を覚えてもね。覚えとくことも必要でしょうけど。
小山 お稽古もバックボーン、景色を聞きながらだから覚えていく。
一中 浄瑠璃を習うということは絵を買うことと近いと思いますよ。ただ美術館に行って見ているのと、絵を自分のものにすることはまったく違いますね。
小山 買いたいとか持ちたいというのは、ものを認めたということですからね。
一中 その気持ちがあると、より深く見たいし、いいものをもっと見たくなりますね。見る目に真剣になりますね。自分の身に入れるわけだから。食べるのと同じです。
小山 いろんな方のご自宅に行く機会がありますが、これはちょっとカッコ悪いなというのもあれば、こんなところにすごくしゃれたものがと驚くこともあります。飾り方もさりげなく美学があったり。
一中 そのかたのお人柄ですよね。
小山 わかってらっしゃるんです。こういう時代になってもいいものはいいんだと。文化って大事だと思うんです。日本のよさをどうやって外に伝えていくかが大事じゃないかと思うんですね。いろんな人に伝えていく必要もあると思う。僕らがおもしろいと思ったら、きっと誰かもおもしろいと思ってくれる。なんでも新しくて最先端がいいんじゃなくて、いやいや古くていいものもありますよと僕らは言い続けていきたいです。
一中 非常に音楽と共通しています。芸術は人の感性に無意識に働きかけるものだから、目で見ても耳で聞いても同じだと思います。人の感じ方が人の考え方を作っていて、人の考え方が社会を作っていて、社会の集合体が国を作って、国の集合体が世界を作っているんだから、芸術っていうのは世界を変える力があるんじゃないかなと。よい世界に変える芸術で満たすことが、非常に重要だと思います。作り出す立場でいうと、そういう芸を心がけていきたいなと思いますね。一中節の本質は世の中の人が一人残らず幸せになるためにあるので、それを感じていただくことによって考え方を作る。芸術がもっとパワーを発揮するようにならないといけないと思いますね。そこから自然に思考ができてくる。僕は和歌が好きだから、和歌からどうするか感じ取る。和歌って直接的に伝達しないで、それとなく違うことをいって感じさせる。感じ取る力を養う必要がある。いきなりわかるものは大したものじゃないんです。わかんないものをわかろうとする、わかんないものに触れるということが人間を深めるんじゃないですかね。
小山 あるときふと、ああこういうことだったとわかるわけですね。
一中 同じ曲をやっても毎日発見があります。わかんないものに触れていこうと思いつついると、見えてくる。理屈っぽい人に「理解しちゃいけません、理解しないでください」というのがたいへんなんですよ。理解しなくてもできりゃいいんだから。理解をしてはいけない。理解には限界があるんですよ。理解しないでやる。
これからの日本の音楽
一中 音楽もこれから映像で楽しむようになりますね。どこででも楽しめるわけですから。渡航費を使うことを考えれば、相当いい映像ができるでしょう。アートが世界を救う、アートにはとんでもない力があるんじゃないかと思うんですよ。感じる人にしか感じられないけれども。効果は個人差があります。それにしても、新宿・柿傳さんでのシンポジオンのような場があるのはありがたいことですね。2020年は2回、小山さんのギャラリーからズームで配信しましたけれども。最初なんて60人ほどの参加があって、いつもの会場だったら入れなかったです。そんなに参加してくださるんだと思いました。
小山 来られなくても来たい人はいるわけですね。シンポジオンは30回以上やっているから、トータルで来た人も結構な数になります。
一中 コロナがあったからというだけじゃなく、職業形態も常にすごい勢いで変わっていますね。富士フィルムがいい例で、化粧品への脱皮ぶりがすごいですね。僕のような変わらないような商売でも、うちの父と僕ではずいぶんと違います。うちの父の若い頃は男のおしょさん(師匠)は人にお稽古しない。女のおしょさんが教えるものでした。男のおしょさんもそこへ習いにいくんです。うちの父も習いに行っていた。男は何をするかというと、芝居小屋が東京都内に何カ所もあったから、常に芝居に出ていたんですね。それだけで帰りにお座敷遊びができるくらいだった。お座敷も安かったんでしょうけどね。
小山 ブロードウェイみたいですね。劇場がたくさんあって。
一中 赤坂とか浅草とかに芝居小屋があって、新宿の丸井のところにもあって。それより小さい小芝居もあった。戦後は踊りを習う人が多くなった。花柳流なんかおしょさんが営業に回ったんですって。「おたくにお嬢さんいるでしょう。踊りやんなさいよ」って。ものすごく習う人が増えて、10万人とかになったんです。それがみんな発表会をやるから、いろんなところで踊りの地方(じかた)をやるのが仕事の一つになった。僕が出だした頃は、芝居も地方も両方忙しかったですね。たいへんだったんですよ、すごく忙しくて。ところが、バブル崩壊、リーマンショックでだんだん踊りの会が少なくなりました。僕は邦楽の魅力を言葉で伝えなきゃわかんないと思って、いろいろな人に批判されながら、こんなにしゃべるようになっちゃったんですね。演奏家が解説するなんて、邦楽の方からするとはしたないんですよ。みんなが知ってることだから、「何言ってんの、今さら」と。今は言わないとわからないです。
小山 昔は見る方の水準も高かったんですよね。
一中 でも、そういう解説のようなことをしていかないとダメだろうと思っていたら、おかげさまでこういう風になりました。こんなことしないで、みんなが理解してくれる方がいいですけれども、また変わっていくと思いますよ。演奏会をやるのが映像配信になるとかね。そうすると音楽は映像芸術になっていく。いつも僕はカラヤンカラヤンと言っているけれど、カラヤンは映像の先駆者です。録音のクオリティを異常に上げて、何回も収録して。カラヤンのレコーディング・マネージャーをした人の本を読みましたけれども、例えばクラリネットのパッセージの録音を何十回もして、録音テープを切り張りしてレコードを作っているんですよ。だからね、じっくり聞くと感動しないんですよ。切り張りだから。映像としてみると、すごくきれいなんですけど。本人が頭にカメラを載せて撮影していたんですね。あの人は、自分をどこから撮ったらかっこいいか知ってるんです。指揮者は手で表すじゃないですか。だからすごくビジュアル系。いまだにカラヤンの映像は音楽を感じられます。ベルリンフィルはすごく抵抗したらしいですね。先に音だけ録音しているそうです。カメラはヴァイオリンを弾いているすぐそばにいて、弓の影を通してカラヤンを撮っている。そういうのがタダで見られるわけですから、いい時代だと思います。
小山健二
「青龍堂」代表取締役社長。東京銀座・フジヰ画廊で16年間修行し、曽祖父が起こした青龍堂を継ぐ。1900年代の国内外の絵画を中心に取り扱う。
青龍堂
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注)貞光なのか白龍なのか…源頼光四天王の一人の碓井貞光なのか、羽衣の登場人物の白龍なのかという意味。