「日本の伝統芸能の大きな楽しみ」
株式会社小松ストアー 代表取締役
小坂敬さん
小松ストアー代表取締役の小坂敬さんは、一中節を長年お稽古されています。また、小唄、能、お茶なども長年習われて、日本の文化に深く親しんでいらっしゃいます。小坂さんに日本の芸能の魅力、稽古することのおもしろさをお聞きしました。
一中節、小唄、能、茶道……それぞれのおもしろさに惹かれて
−−小坂さんは、2021年11月の「銀座くらま会」(銀座で商いをされる方々の邦楽の発表会)の大トリで、立方(たちかた=踊り)、お囃子も入って賑やかに一中節の「道成寺」を語られました。
一中 「道成寺」は30分ありますからね。
小坂 笛の藤舎名生(とうしゃ めいしょう)先生も非常によかったです。あの方は本当に笛を好きで、自分のものにされてますからね。今回の「道成寺」は、名生さんに「もう好きにアドリブでやってくれ」って。
一中 アドリブの名人なんです。
小坂 いろんな変わったことをやるのが好きで、西洋の楽器と共演したり。
一中 もうずいぶん昔だけど本当に若い頃、トランペットの日野皓正さんとやって。
−−立方も出るようなときというのは、下さらいは何回かされるわけですか?
一中 1回だけです。小坂さんのお稽古している音源を踊りの先生に送っておいて、あちらが稽古してくださる。踊りの先生が「ちょっとこうやってくれ」というのはよくあるんですが、今回は小坂さんの語るようにあちらが踊るんです。その方が結果的にもいいと思うんですけどね。「銀座くらま会」のときは必ず踊りもあって、素浄瑠璃ということはなかったでしょうね。
小坂 そうですね。一中節の前は、お能の舞囃子をやったことがあります。お能の先生方は、「くらま会」が結構好きでね。亀井忠雄先生とか。
一中 そうそう。亀井先生が一中節を聞いてくださってね。よかったよと言われました。
小坂 好きなんですよ。
一中 自分が語って芸者衆に踊ってもらって、お客様にもより楽しんでいただくという、贅沢なあり方ですね。まさに小坂さんは銀座の大旦那ですから、お稽古する張り合いとして、そういうことをされる。そうするとお客様が楽しみに来てくれるんですね。
小坂 こういう一中節とか感覚を使うものは、リハビリじゃないけどね、大変ありがたいことだと思っております。
一中 知識とか読むとかっていうことではなくて、声を出したりするといいですね。
小坂 五感ですね。触ることも大事です。空気を感じるとかね。そうそう、竹編みをやっていましてね。
−−竹の籠を作られるんですか。
一中 茶杓ですよね。
小坂 そもそもお茶やってる関係で茶杓削りたいなと思って、池田瓢阿(いけだ ひょうあ)さんに「ちょっと茶杓の削り方を教えてよ」って言ったらね、「ちゃんと籠からやんなきゃダメだ」って。
−−籠からやるものなんですか。
小坂 彼は籠だからね。茶杓だけ削ろうというのはダメだって。
一中 竹の性質を知らないとね、それは「道(みち)」です。
−−茶杓は小唄のようなものかもしれないですね。
一中 そうですね。小唄をやるにはやっぱり一中節からやらないと。
−−一中節は籠ですか。
一中 小坂さんは小唄がいちばん古い。
小坂 そう、小唄がいちばん古い。
−−小唄はすごくオシャレですけど難しそうですね。
一中 小唄は究極に難しい。いちばん最後にやるものだと言われています。
小坂 難しいね。理解して、その中に全部込めなきゃいけないから。まだ全然できてない。
一中 常磐津、清元、長唄、一中節、河東節、そういう要素が全部一瞬のうちに入っている。小唄ってそういうものなんですよ。これはちょっと河東節ふうな部分とか、それをわかってないと小唄にならない。
小坂 義太夫が入ってたりね。
一中 それが自然に一つの小唄の世界になっている。小唄を作る方っていうのはそれを全部心得ている。
小坂 いやあれは難しいですよ。俳句みたいですね。ものすごく凝縮した短い中で全部表現できるかっていう、そういうパズルだから。
一中 僕は若いとき、友達に「初めて小唄の会をやるので、出てくれないか?」って誘われて、「いいよ」って言ったことがあるんです。そんなのテープがあればできる、短いし。でも、そのプログラムが先代一中の目に触れたら、もう大変に叱られて、「あんたごときがとんでもない。小唄なんていうのは全部わかった人がやるもんで、一中節もできないのに、小唄ができるわけないでしょう!」って、ものすごく怒られた。それから小唄恐怖症になっちゃった(笑)。
小坂 確かにね、怖いもんですよね。だってもう、1箇所ちょっとつまずいたらね、おしまいだからね。
一中 おしまいです。
小坂 これしかないからさ。
一中 短いからよりイキでね、上等。
小坂 ある程度長いもんならね、繰り返しができる。
一中 そういうふうに、悪い言葉だけどごまかせるっていうのも芸のうちですからね。そこで、「あれ、わかんなくなってるな」と思わせちゃダメで。それから小坂さんは、亡くなられた関根祥六先生のお孫さんを支えられて、ずっとお稽古してらっしゃるところがやはりすばらしいなと思います。美しいし、気持ちがいい。
小坂 祥六先生は本当に怒るからね。
一中 そういう怒れる先生はうらやましいですよ。僕は怒れないんですよ。あまりにも先代に怒られたんで。僕なんか怒るのはおこがましいんですけど、でも怒った方が刺激になって、身に付くんじゃないかなと思うんです。しつこく教えることはしつこいですけど、決してそういうふうに怒ったりできない。逆にお弟子さんに申し訳ない。だから怒れるおしょさん、先生が、羨ましいですね。
小坂 祥六先生は、研究心っていうか好奇心が絶えることがなくて。80代になっても変わらなかったですね。世阿弥の『風姿花伝』にあるように、80代でしかないできない能があるという考えで。「あれがちょっと違う」とか「ちょっとこれがわかった」って。
一中 関根祥六先生っていうと思い出すのは獅子なんです。ある結婚式で「これから関根祥六が獅子を舞います」って出てきたんですけど、スケテンテンテンスケテンテンテンって、獅子舞なんですよ。江戸の町の獅子舞を祥六先生が習って。あれはすごいことですよ。ものすごく上手なんです。獅子をかぶって出てきて、スパッと最後に取る。今考えても鳥肌立つすごい経験でしたね。そのときに僕も常磐津やらされて、まだ一中節やってない頃でした。だから関根先生っていうと、そのスケテンテンを思い出すんです。それだけ好奇心が旺盛で、いろいろ研究心もあって。そのときの結婚式にみえた方だけしか見ていない。小坂さん、お茶のほうは。
小坂 いやいや、お茶のほうはヘタクソで。
一中 お茶の上手い下手というのはどういうことですか?
小坂 点前をちゃんとやらなきゃいけないわけですよ。基本だから。ちゃんとやるところをね、ちょっと飛ばしてる(笑)。
一中 お茶って不思議に三大茶人とか有名なのは、お茶の家元とか、お茶の宗匠じゃないんですよね。好き勝手楽しむのを、道を外れずに支えるのが宗匠なんですよね。
小坂 お茶って何かって言ったら、相手がいてお茶をたてるということで、その相手に対するメッセージですよね。コミュニケーション。茶室もそうだと思うんですよ。千利休までは、豪華な座敷で豪華な飾りで、道具を競い合う、すごく高いものになってしまって。利休さんが、「それをやったんじゃ普通の人はお茶ができない。そういうもんじゃないだろう」という考え方で極めていって。もっと素朴なことで、お茶のよさっていうのはいろいろあるということを実証していったわけですよね。茶室もどんどん小さくしていって、小間になって。道具も花入れは竹を切って使うとかね。秀吉が来たとき、利休は庭に咲いていた朝顔を茶室に一輪さして、そのほかの花は全部取っちゃった。メッセージですよね。「秀吉さん、あんたはオンリーワンだよ」というね。
一中 そういうメッセージがコミュニケーションですね。
小坂 ウンチクというのも一つのメッセージです。そこで亭主は何も言わないで、いろんなことを客に語りかけているんです。それの面白さですよね。
一中 確かにお茶ってそういうものですね。
小坂 いきなり茶室に入って軸を見て、花を見て、何がそこで語られているのかっていうのを考える。だから正客ってのは結構たいへんです。
一中 日本の文化って、浄瑠璃でもそれが何かってわかっている人じゃなきゃおもしろくない文化ですね。知らない人は気がつかない。
小坂 気がつかない場合もあるかもしれないけど、それを一生懸命「何だろうな」と思って考えることが大事なんですよ。考えることによって、亭主のことを思うわけだから、お互い思いやってるということになる。
一中 一生懸命考えるということですね。
小坂 いろんな遊びがありますよね。ちょっと歌をよむとかね。お互いどうやって一緒に楽しむかっていうのをね、考える。
稽古をすると見えてくるもの
一中 よく邦楽のお稽古してると、ほかのおしょさんに習っちゃいけない、聞いてもいけないと言われることがあります。必死にやらなきゃいけないっていう理由はあるのかもしれないけど、僕はそのかたが上手になればいいわけで、なんでも肥やしになればいいと思います。そっちのほうがおもしろいなと思ったら、それはそのかたに向いている。例えば一中節をやってたけど、常磐津、それじゃ僕と同じだけど(笑)、おもしろければどうぞで。河東節がやりたいとか、そういうことが大いにあった方がいいと思いますね。
小坂 ただね、いろいろ混ぜちゃうとね、おかしくなっちゃうんです。だから関根祥六先生がね、絶対駄目だって言っていたのは、弟子が売ってる録音聞いてやること。そうすると、「違う」。祥六さんの謡じゃない。
一中 こういうものは生きてるものだから、今日ここで録音しても、また次には違ってるわけですよね。
小坂 一中先生は一中先生なりの、ここんところをもっと強調してとか、やわらかくしてというのが、ほかの先生と違うと思うんです。であって当たり前で、それは情景を表すわけだけど、見る人の目によってちょっと違くに見えるのもあり、それでいいわけですよね。
一中 情景とか心情とかですね。ただ節を覚えるだけじゃない。
小坂 それはその先生によって違うから、ごっちゃになると混ぜご飯になっちゃう。
一中 やたら囲い込むっていうのが、気持ちが小さすぎて。趣味でなさる方は、楽しもうってことが大事ですよね。「これを知る者はこれを好む者に如かず」っていうけど、楽しくやるためには厳しくやらないと。ちゃんとやらないと楽しくないですよね。
小坂 深めないとおもしろくない。何でもそうですよね。表面でやってたんじゃ。
一中 小坂さんのご趣味は、たくさんいろんなものを深めてらっしゃるけど、お仕事してる時間があるのかと。
小坂 遊んでます。
一中 小坂さんに言っていただいたことですごく覚えていることがあるんです。「芸をやる人は、芸という莫大な財産を既に持っている。土地を持っていたり、大きな会社を持っているのと同じで、それをどう生かすかをもっと考えなきゃいけないよ」って、おっしゃっていただいたんです。「一等地の広大な敷地に自動販売機一つしか置いてないような、そういうことではいけない。僕はどうしたらいいかっていうことをもう24時間考えていますよ」と。だからお稽古してても、お茶をしてても、すべて結びついている。ビジネスにおいても、こういうふうにやればいろんな人が喜んでくれるというところに繋がる。
小坂 人間生きてるということは、そういうことじゃないかなと思うんですよ。自分の生き方を、どうやって自分がより高く評価できるか。「自分のより高い評価」っていうのがいいんです。人に評価してもらうっていうことよりもね。達成感があったほうがいいと思うんです。それがあるから世の中新しいものができるし、よりおもしろいものができる。それはビジネスでもそう。のほほんと形だけやってるのは、すぐ廃れますよ。
一中 小坂さんのお誕生日のお祝いの集まりでしたか、「私は何にもなすことなく、ここまで来ました。何もしてないんです」っておっしゃった。これすごいなと思いました。
小坂 そんなに意識して、何かこれをやったぞっていう、そういうことはなくて、自分がより満足できるものはないかなと思い続けてきたんですね。
一中 大きいですね。お姿も大きいけど(笑)。
小坂 不経済(笑)。
一中 豊かで穏やかだけど、すごく厳しい。小坂さん怖いですよ。僕は怒られないけど、幸いにして。
小坂 自分で「自分はこれでいいのか」と思うんですね。よりよい何かがあるわけですからね。それを求めて、届くかどうかはわかんない。でも、それを目がけて考えていくということはいいんじゃないかな。
一中 何事においてもそれを感じますね。
小坂 なぜこれがこうなってるのかなっていう好奇心も基本的にありますよね。
一中 時々世界の情勢についてもお話をさせていただくんですね。それもすごく卓越した視線からお話しされる。
小坂 卓越してないんだけど、「その先の何かが見えないかな」って、絶えずそちらを一生懸命見る気持ちはありますね。
一中節と出会って
−−小坂さんが一中節を始めたのは何年ぐらい前のことですか。
小坂 ええとね、約20年。
一中 なりますかね。
小坂 なるなる。
一中 それも不思議なご縁でね。小坂さんをよくご存知のお弟子さんと話しているときに、「小坂さんみたいな方が一中節をお稽古してくださったら、本当にうれしいですよね」と言っていたんです。その後に日本雅藝(みやびごと)倶楽部というところに行ったら、ちょうど小坂さんが見えて、「一中節をお稽古したいんだけど、教えてくれる?」っていう話になったんです。その直前に小坂さんの話をしていたから、聞こえてたのかなと思うほどで、思ってみるものだなと。そのときの光景も覚えてますよ。
小坂 2008年に「くらま会」で初めて一中節をやりました。
一中 すごい、記録があるんですね。
−−なんでしょうか、今の閻魔帳みたいなのは。
小坂 これはいろいろ覚えておきたいことを書いてある。最近多くなったパスワードとかね。
一中 これは貴重な。
小坂 医者のデータとかね。2008年の「くらま会」の前に一中節を始めたわけだけど、だから2006年ごろかな。
一中 なんでしたか、曲は。
小坂 『都若衆万歳』(みやこわかしゅうまんざい)。稽古は日本雅藝倶楽部で始めました。今でもあそこでやってます。ここでも月に1回くらいやりますね。
一中 こちらにうかがう前に、屋上の三輪神社に、お参りさせていただきました。すばらしいですよね、神様を祀られて。
小坂 あると気持ちいい。
一中 空間がすごくいいですね。植栽もいいし、実に心がけがいい。それで誰でも入れる。
小坂 信者の方がね、毎日のように来られるんですよ。別に人数を数えてるわけじゃないんだけど、お賽銭箱に集まったお賽銭を三輪神社に奉納する、その金額で、人数の見当がつくんですよ。平均的には一人100円とか200円だと思うけどね。結構な数ですよ。
一中 いいことですね。
小坂 そもそも神様を祀ったのは、建て直しする前のビルのときに、それまでサラリーマン生活から家業に戻ってきたときに、整備のおじさんがね、電球を脚立の上で換えるときに心臓麻痺で死んじゃった。これは客商売やっているのに神様を祀らなきゃダメだと、神様を祀ることにしたんです。さて、どの神様を祀ろうか。銀座は日枝神社の縄張りです。日枝神社は範囲が非常に広いんですよ。
一中 僕も生まれたところは日枝神社の(氏子地域)。三番町もそうですか。
小坂 あれもそうだと思います。でもなんかちょっと違う。うちの親父が寒川神社に行っていたんで、寒川も二、三回行ってみてね、これはちょっと違うと。そしたら、「三輪神社へ一度行ってみませんか」って言われて。グループで行って、夕方着いて一泊して。朝、お山に登ったらそれが気持ちよくてね。お山が御神体で、いいなと思った。ビルの屋上に社を作って、建て直したときにお移りいただいて。三輪の神様はお山が御神体で、もともと三輪神社も神殿がないんですよ。拝殿だけで。それがいいなと思って。山の辺の道を奈良の方に向かって10分ぐらい行ったところに桧原神社というのがあるんです。まったく社がなくて大きな三つ鳥居があって、これがいいなと。桧原神社の三つ鳥居をモデルにして、中の部屋をやってもらっている大工さんに作ってもらったんです。
一中 感性でこれはいいなって感じたというのがすばらしいですね。
小坂 桧原神社から西の方に二上山(ふたがみ山)があるんだけど、春分と秋分の日に、桧原神社から見て夕日が二上山の真ん中に沈むように計算して、鳥居を作ってあるんです。
一中 小坂さんにはそういう感性、感じるものがあるんですね。ビルの上にあれだけ木を植えるというのは、相当深くしないといけないんですか。
小坂 いやあ、あまり深くはできないんですよ。屋上ってのはね、重量制限があって、あんまり土を盛ることができないんです。盛らないでどうやってやるかっていうのを考えて。けっこう高木がありますからね。倒れちゃ困るから、下で押さえているんです。台風が来ても、大丈夫なように。あと屋上の場合は給水が非常に大事。やりすぎてもいけないし、水が涸れてもダメだから、給水システムを入れて、コンピュータで管理しています。梅雨時はあんまり給水しないけど、真夏は給水するとかね。
一中 ビルの上に単なる屋上庭園じゃなくて神域がある、心清まる空間があるというのはいいですね。
小坂 おもしろいですよね。石組みの手水鉢は古いものの一部で、相当な歴史があるらしいんだけど、あんまり詳しいことは知らない。形がいいなと。その隣に紅梅が植えてある。梅は水を清める力があるというんで、手水鉢のところに植えたんです。南の方には竹を植えてあるんです。鳳凰が南の守り神で、竹に宿る。鳳凰の好物は桐の実というんで、竹の横に桐もある。
一中 せっかくやるんだったらそこまでやらないと、ということですね。
小坂 果たして竹はどうかなと思ったら、元気でね。筍がひょこひょこ出るんですよ。今年もね、食べました。
−−銀座の蜂蜜は聞きますが、銀座の筍とは。
一中 泰明小学校のタイムカプセルもあるんですね。
小坂 あります。神社の参道は三和土(たたき)なんですよ。石灰を使って、本当に作ったんですよ。これを小学生に体験させるといいかなと思って。セメントなんかができる前に、日本ではこういう技術があったということを。子供がみんな一生懸命やってました。作文も書かせて、それをタイムカプセルに入れた。「8年後にみんな呼んでパーティーやるよ」って言っておいて、去年みんな呼んでね。やったときは6年生だったんです。
一中 じゃ、ちょうど20歳。
小坂 そう、20歳のやつがけっこう来たわけ。泰明小学校っていうのは中央区立だから、その後バラバラになる。それでもけっこう集まってきて、仲いいんだよね。
一中 小坂さんの肝いりで、泰明小学校で一中節を教えたことがありますよ。泰明小学校はいろいろな試みがあって、一中節をやってみようということになって。みんなすごく喜ぶんですよ。校長先生もね。こちらも楽しかったです。
小坂 そういうことはおもしろいじゃないですか。
一中 子供のころに1回でも体験するとね。
小坂 あの子たちは三和土のことはもう生涯忘れないと思うんです。
一中 どこから子供にそういう体験させるという発想が出てくるんですか。
小坂 それはね、次男が考えた。
一中 そうなんですか。最後にお話ししなきゃいけないのは、都一中音楽文化研究所のことですが。
小坂 何を目的に活用するかはなかなか難しいところもある。いいことであることは間違いないから、頑張って続けると、いろんな繋がりが広くなる。なにごとをやるにしても、限られた人たちだけでやっているよりも、より広くやったほうがいいと思います。演奏されるだけじゃなくて、いろんな活動をやってらっしゃるから、そういう活動がよりやりやすくなってくる。
一中 やりたいことはものすごくあるんです。一中節って、本当は習っていただくといちばん理解が深まるし、おもしろくなると思うんですけど、習っている人だけじゃなくて、そのおもしろさを伝えたい。ということでいろんな手を替え品を替え、いろんな発想で。アイディアだけで収拾つかなくなることもあるんですけれども。
小坂 いきなり成果が出るようなものじゃないですから、やっぱり根気よくやるっていうことが、大事じゃないかなと思いますね。
一中 ありがとうございます。締めくくっていただきました。
小坂 敬(こさか けい)
1937(昭和12)年9月東京生まれ。1960年米国コルゲート大学卒業、1962年米国ミシガン州立大学大学院卒業、同年米国フィリップス・ペトローリアム・カンパニー入社。昭和電工との合併会社など関係会社勤務を経て、日本法人社長に就任。1985年小松ストアー代表取締役に就任。現在、(公財)千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会理事、(一財)今日庵理事、裏千家老分、中央区都市計画審議会委員、築地警察懇話会会長、(一社)中央区都市整備公社評議員、(一社)銀座通連合会相談役、祥の会(関根祥丸後援会)会長、銀座くらま会会長、酣春会世話人、(医)明和会理事、日枝神社大総代、(特非)都一中音楽文化研究所理事などを務めている。