都一中音楽文化研究所

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「一中節とアート思考」アートとビジネスの関係を考える

BODAI代表取締役 町田裕治さん

2020年は、各界の方に一中節をお聞かせしながら対談をしようと考えています。今回は、アートのワークショップを通じてビジネスの創造力を高める、「アート思考」という考え方を提唱しているBODAI代表取締役の町田裕治さんをお招きして、『都若衆萬歳』をお聞かせするところから始まりました。(編集部)

都一中 日本の音階には都節、雅楽、民謡、琉球音階があります。何調も何拍子もなく、真ん中の音が一音上がると主音が変わる。『都若衆萬歳』という曲は、右肩上がりの成長曲線を描いているような曲です。常に音が上がってフレーズが終わる、成長、発展しているようなイメージ。単純ですけど気分が爽快になる。歌詞の途中に「昔の京は奈良の京 八重に桜の大和川 中ごろは難波津に よいこの花と詠まれたる 歌村のふりもよし」というところがあります。これは「難波津に咲くや木の花冬ごもり 今を春べと 咲くや木の花」という和歌の意味を盛り込んだものです。都が栄えて人の心が豊かになるためには、花と緑が不可欠だということなんですね。
町田裕治 曲を聴いて、鮮明に映像が浮かびました。私は大阪と京都の間にある枚方市の出身で、難波には高校がありました。周辺に四天王寺がある場所なのですが、高校の近くから太陽が西に沈む姿が見える。一中節には単語からくるイメージの広がりがあって、今まで自分の中で浮かばなかった映像が、難波の高台から見た夕陽のように、とてもきれいに浮かびました。これはすごいなと思いました。
一中 余白、余韻といいますか、藤原俊成が幽玄とかもののあわれ、余情と言った部分ですね。言葉が非常にまばらなところ、その空白に深い意味がある。なぜ三味線を弾くかと言われたら、「静寂を楽しむために。音と音の間の静寂を作るために音があるから」なんですね。「芭蕉の古池や蛙飛び込む水の音」という松尾芭蕉の句がありますね。ぽちゃんとかえるが飛び込んだかすかな音がして静かになる、「大切なのは余韻なんだ」と梅原猛さんの本に載っていた。映像が浮かぶということは日本の音楽を聴く時にいちばん大切な要素です。昔こういうものを聴いて楽しんだということは、間違いなく、江戸時代の人は3Dバーチャル・リアリティー内蔵だったはずなんです。
町田 聞いている側が想像力をたっぷり使えることが最大の発見でしたね。
一中 それは町田さんに想像力があるから。ないとね、こんなにつまらないものはない。
町田 たいへんおもしろいです。想像の余地がすごく大きいので自由に発想できる。難波の夕陽だけでなく、昔から馴染みのある奈良や京都の山々もバッと出てきた。弦から景色が出てくるのは、すごいと思いました。
一中 本来はそうあるべきなんだけれども、現代ではなかなかそう思ってもらえないですね。

「三味線の音を聴いて景色が浮かんだ」と言う町田裕治さん

町田 私はアート思考という、「ビジネスにアートや文化芸術の発想法を取り入れましょう」という活動を3年ぐらい前から一生懸命増やしています。もともと小さい頃から、壁新聞を作ったり、難しい迷路を教室で作ったり、作ることがすごく好きでした。経営コンサルティングをやっていたときには、先輩方が非常にロジカルにやっているときに、私が3次元の模型でプレゼンテーションをしたこともありました。クライアントは通信会社で、ロジカルにインターネットを考えると、自分たちの脚を食うようなことになり、専用線の売上が下がっちゃうんですね。猛反発されましたが、20分怒られた後に「この模型って上が外せるんですか」と模型を介して会話が始まったんです。この模型だけでインターネット導入が決まったとまではいえないんですが、ビジネスの場面でも立体造形を入れることの効果はものすごくあるなと思いました。2020年のオリンピック施設のコストをどうやって減らそうか、どうやって盛り上げていこうかというお仕事を東京都からいただいたことがありました。そのとき、非常に優秀な方々のロジックを文章にした書面が出てきまして、すごく正しいんだけど、あまり楽しくはありませんでした。そこで私はプールの担当だったので、プールのイラストを描いてそれをプレゼンテーションにしたら、知事にも「これはわかりやすい」と言われました。それからなにが起きたかといいますと、他の施設でもみなさんが同じようなイラストを描き始められたんです。そこまで私は意識をしていなかったですが、1人がこういうのを描くと、波のように広がっていくんだなと思いました。
一中 人はイメージで生きているんですね。
町田 先ほどの上っていく音階がまさにそれで、絵とか造形を入れると何かが上がっていくんですよね。これがまったく人の不思議なところです。ワークショップをやるときには、ネガティブなことも大事にしています。褒められるだけでは創造性が出てこないと私は思っていて、ある程度制約をかけるとか、場合によってはちょっとプレッシャー的に「これは難しいですよ」みたいなことを言ってみたりします。例えば「食とウェルビーイング」、「食べることで健康になろう」ということをテーマにした企業さんですと、彼らはワークショップでストレートに「よいもの」を作るんですね。例えば「昭和の食卓、よかったよね」となると、アート作品としては食卓の風景が作られ、それで終わっちゃうものが出てくるんです。深いところにメッセージを伝えていくには、たとえば「あえて食卓がない不幸を表しましょう」とアドバイスします。そうするとみなさん困られて、そう簡単にはできないんですけれども、新たな発想が降りてくる。目的がはっきりしている中で、表現を工夫して、深いところに届くようにする。ちょうどいい幸せを思いつく方もいれば、最高の幸せを表す方もいる。「病気の時に伸びすぎたうどんが出てきて、それは妻の愛の表れなんだ」というような聞くだけでハッピーになるようなものもあれば、逆に「私は両親がコンビニを経営する家庭の子供で、コンビニの売れ残りを食べて育ちました。とても屈辱的でした」と言う方もいらっしゃいました。コンビニの方は、そこでそのときの鬱憤を晴らすアートを作り、「みんなの前で初めて話せました」と、おっしゃっていました。「みんなで何か作ろうよ」というフェアな雰囲気の中で出てくる。人の創造性を邪魔しているものが、造形をすることで出てくるんだなと新鮮な発見でした。そういうことを考えつつ、上がっていく音階を聞いていたんですが。
一中 現代もそうですが、一中節を習う方は経営者が多いんですよ。歴史的にもそうだった。最初、元禄時代にはものすごく広まって、18世紀初頭に「江戸中に一中節の稽古本がないうちがない」というくらいにみんなお稽古したっていう記述があるんですよ。信じられないですけどね、今は。だんだん時代に合わなくなってきて、100年くらい経った文政年間に歌舞伎にも受け入れられなくなった。つまんない、難しすぎると。それで五代目都一中も考えたんでしょうね。アドヴァイスしてくれる音楽家であり、経営者である人がいて、それが山彦新次郎という河東節の三味線弾きで、吉原の桐屋という妓楼を経営していた。山彦新次郎は五代目都一中に惚れ込んで、河東節の三味線をやめて一中節の三味線弾きになった。そこで、どういう人たちに受け入れられるだろうかと考えたんですね。今風に言うと、マーケティングリサーチをした。大衆化したものや流行に眉をひそめる人がいる、そういう人こそターゲットじゃないか。それは大店の大旦那たちです。化政期というのは、爛熟退廃と言いますが、その時にできた一中節は「松羽衣」や「鉢の木」という、お能から取材した、清廉高雅なものなんですよ。どうしてその時代にできたか。爛熟退廃は嫌だねという人がいたんですね。極めて少人数なんですが、お金を持っている。一回演奏すると歌舞伎の木戸銭とは桁外れ。数人いれば十分だと、そういう方向性に舵を切った。

「自分で声を出してみると、いろんな発想が浮かんでくるんです」と都一中。

町田 数の少なさもある種のサロン感を作ったんでしょうね。
一中 そうなんです。それから数の少なさを大事にするようになった。明治大正昭和になってくると、経済人は経済だけじゃなく文化人として認められなくてはいけない。一中節に飛びついたのは大倉喜八郎さん。帝国ホテルを作った人ですが、「一中の大倉か、大倉の一中か」というくらい熱心だった。そのあとにのめり込んだのは出光興産の出光佐三さん。そういう方たちによって支えられてきた。一中節を稽古する、自分で声を出してみると、その声の動きの中からいろんな発想が浮かんでくるんですね。絵空事も描けるし、発想が豊かになる。音楽って理想的な音を思い浮かべないと絶対にできない。指揮者は何もしていないようだけれど、指揮者の中に思い浮かんでいる音をオーケストラが出すんです。思い浮かべた音をコンマ2秒後に確実に現実に音として表現していく。思ったものが現実になっていく。楽器が下手だったり、声が悪いとそうならない。いろんな技巧を磨いていく必要がある。それが応用されて、ヴィジョンを描いて、それを半年後、2年後に現実にしていくというスキルを磨いていくことになる。
町田 それは経営そのものですね。
一中 経営者として豊富な経験と優れた感性があるから「一中節にはヒントが満載」と思われるので、僕は経営のヒントは学べないんです。その代わり、経営者の方の話を伺うことによって、こういうふうに弾けばいいんだ、ここはこういう意味なんだと逆に学べる。
町田 まさに同じことを、私の場合は絵やコンピュータ・グラフィックについて、経営で使える意味合いを学ぼうということをやっています。すごく近い、ほとんど同じことをやっていると思いました。
一中 そこがシステムになってなくて、お稽古をしているだけですから、学べる人は学ぶし、そうでない人は学んでない。鉄工所をやっている社長さんは、経営が順調な時はお稽古に来ないんですよ。厳しくなるとお稽古に来る。しばらくお稽古していて、「おかげさまでだいぶ回復してきたのでしばらくお休みします」となる。「なにそれ逆じゃない」と思うんですが、お稽古しているときは経営から「離れられる」というんです。すると違う発想、いいアイディアが浮かぶ。一つの瞑想みたいなものですね。状況がよくなるとぜんぜん来ないんです。よく、「現代の諸問題を解決する答えはすべてこの中にある」と言っています。ただ、明確に言葉で出てくるわけではないんです。占いじゃないから。ああそうだ、こうやろうというのが浮かんでくるだけ。
町田 「だけ」が非常に大事だと思っています。
一中 直結してないのがアートですよね。
町田 最近の脳科学では、デフォールト・ネットワーク・モードというのが言われていて、要は頭を真っ白にしていないとよい発想は降りてこないよということが、科学的に証明されつつあるそうです。経営であれば、日々自分の会社の課題に向き合うことで制約がかかる状況になり、そればかりに意識が集中しすぎるといいアイディアは出てこない。一旦忘れましょうということですね。最近アメリカの作家さんのおもしろい本を読みました。エリザベス・ギルバートさんの「BIG MAGIC」という本なのですが、「創造性は力んで出すものじゃない、想像力が自分を選んでくれるかどうかだ。そう思えば、出なくても悩むが必要なくて、気まぐれな創造性の女神は今日は来てくれなかった。でも準備をしているといつか来てくれると思えば、ポジティブになれる」と書かれていました。私もそれまでは力んでやることもあったのですが、確かに今日は女神は来なかったけどそれでいいんだ、と思えばいい。準備や練習はしっかりやる。そんな気持ちでいると脳が無意識なレベルでいろいろなものをつなげてくれるみたいですね。経営者が意味合いを見出せるのは、その方々が「あえて違うところに行って忘れることだ」と体感でご存知だからなんじゃないですかね。
一中 日本語は一文字ずつに母音がありますね。一中節には「春霞たなびきにけり久方(ひさかた)の」、という言葉で始まる『辰巳の四季』という曲がありますが、日本語は高低アクセントがあるので、「はるがすみ」の「は」は、言葉で教わるとどこが違うのかわからない。母音を意識して言うと言葉に景色が浮かぶ。「は」はhとaですよね、このaを浮かすんです。離して浮かす。まっすぐだと情緒がない。町田 (『辰巳の四季』の「はるがすみ」の部分を聴いて)ああ、ぜんぜん違う。
一中 違うでしょ。自然にやっている方はやっているんだけど、歌うとやらなくなっちゃうんですね。何を表しているかというと、禅で言う「応無処住而生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」です。こだわると自由にならない。母音を浮かしたことによって、融通無碍になる。母音を伸ばすことによって「春霞」も表せる。
町田 文字から表現を離したということなんですね。
一中 そうです。声を使って状況を自由に表すことができる。
町田 確かに音は口と体全体で表すものですから、文字で拘束される必要はないですね。
一中 日本語は文字がない時代がはるかに長かったから、小林秀雄は「人類は文字を発明した時点でバカになった」と書いていますが、『古事記』も太安万侶(おおのやすまろ)が書いた時点で、本当の古事記じゃなくなったとその当時言われていたといいます。稗田阿礼(ひえだのあれ)が口承していたときには、音の響きを通じて意味が伝わっていた。一中節もそうですが、口承のものは実に厳密にやらないといけないんです。楽譜がない分、少しも変えちゃいけない。自分の経験から言うと、『古事記』も伝承されていたことと一字一句変えなかっただろうと思います。そのぐらいの気合いがないと正しいことは伝わらない。文字があったほうがいろいろな解釈ができるから、経典とか聖書とかなかったほうがもっとちゃんと伝わったかもしれない。一中節は師匠が言うことを微塵も変えちゃいけないんです。現代は少しこうしようとかね、そういうのは浅知恵です。みんなが伝えてきたものだから、絶対に変えちゃいけないというのが鉄則なんです。
町田 その分、当時の思いがどーんと伝わって来ているわけですね。
一中 来ていると思いますね。ただし、今は江戸時代とは着ているものも食べているものも違うし、車に乗ったりしているわけですから、自然に変わっちゃう。それはオーケーなんです。自然に変わんないと現代の人には合わない。変えないという強い意志のもとに変わっているものはいい。
町田 おもしろいですね。
一中 自分の意図で変えるなんていうのは、浅知恵。僕が習った先代の一中師匠は、「私の考えたことなんか一つも入っていないから、安心して習ってちょうだい」と言っていました。
町田 (笑)。そういう考え方なんですね。
一中 そういうふうに伝わってきているんです。楽譜がないということはそういうことなんです。
町田 楽譜といえば、サックスを習い始めたんです。楽譜を音に変えていくんですが、基礎はしっかりやって、ここはこういうニュアンスでというのがある。スコアに表れないものを教えてもらっているんです。西洋はギリシャ哲学から始まる言葉の国だと思います。その言葉の中でがんじがらめになっているんですが、西洋でもアートを大切にする人は、感性とか体感をすごく大切にされていて、言葉を補う形でアートを入れてみよう、そういうやり方をされる。日本の場合は感性や体感が元から色濃くある。
一中 論理がないと言われるんですが、論理が緻密すぎて成文化できない。理屈がないんじゃなくて、書けないほどの精緻なものなんですね。アメリカ人の友達が、「西洋人は日本人に比べて頭が悪い。ピタゴラスの定理と言わないと理解できない。日本人は曲がっていくより直線で行った方が早いのは誰でもわかっているから定理にしない」と言っていました。理論にすると緻密な理論で構築されているんですけれども。西洋の理論もそうなんでしょう。そんなことを考えなくてもいいんじゃないのかな。自然との関わり方、日本の風土との関係がそうさせているんじゃないか。ドイツのデュッセルドルフに行ったとき、シューマンが身投げしたというライン川のほとりで、十五夜だったんです。月がきれいに出ていて、みんながテラスでワインを飲みながら楽しんでいる。そのとき「あれ、この月って天体だよね」と思ったんです。明確な天体。物質的なんですね。
町田 そもそも見え方が違うんですね。
一中 「月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど」というような世界はない。情緒がない。天体として見えちゃう。
町田 湿度も違うから。
一中 ヘーゲルとかバッハとかベートーベンとか、こういう月を見ていたから、ああいうことができる。違う情緒はありますけど。その違いに気がついた。イタリアで見たらまた違うでしょう。ドイツには演奏旅行で行ったんですが、それがいちばん印象的でした。
町田 私も似た体験をしていまして。経営コンサルタントはサイエンスの手法をビジネスに取り入れようということなんですね。極めてきちんとしていないとお金がいただけなくて、20代の頃は一生懸命やっていたんですが、途中から「ここからはええやん。感覚でいいというのがわかるから」と、「これ詰めなくてもいいんじゃないですか」と上司に言ったんですね。そしたら、えらい怒られまして。「そこを詰めることこそが私たちのビジネスなんだ」と。納得しつつも「ものすごく違うな」と思ったんですね。それでサイエンスに限らないやり方を追い求めていたと思うんですが、それに今気づきました。日本で育っているから、しっくりこないんだと。
一中 論理的に精緻なものを極められて、その上でそれじゃないんだなということですね。僕はそっちの方はわからなくて言っているんですが。町田さんは両方わかっていらっしゃるから。
町田 日本の風土風景、すべてが人に影響を与えていると思いますね。
一中 留学生のための演奏会を学生支援機構の援助を得てやっていたことがあるんですよ。インドネシアから来た慶應大学の留学生で、イスラム教の信者の方だった。その人が僕に「音楽をなさるとき、あなたの外的宇宙と内的宇宙はどういう関係にありますか」と質問してきたの。「え、なにそれ」と思った。そんなことを考えたことがなかったんです。そのときに、普段やっている調弦を思い出した。自分が気にいるまで、毎日チューニングをするんです。これが周波数で表せる世界なんですよ。一の糸は三の糸の周波数の真半分です。数学的に割り切れる、数式で表せる音なんです。それが聞いていて心地よいと思う。なぜそうなのか不思議なんですが、違う音なのに同じ音くらいに聞こえるわけですよ。正しい二分の一を毎日整えている。調子を合わせるというのは大自然の摂理に自分を合わせることです。もっと不思議なのは、バイオリンだったらGとかギターはEとか(弦の)音が決まっているんですが、三味線は一と三の糸が相対的に合っていれば、なんでもいいんです。
町田 なんでもいいんですか。
一中 三味線がいい音のするところに決めちゃう。何人かで合わせるときは、中心になって合わせている人にみんなが合わせる。演奏会でも441振動とか決まってない。歌の人の音域に合わせて、今日ちょっと調子悪いから低めにとか、全然自由。自然界の法則に、三味線をツールとして自分の内面を、自分の感覚をチューニングするんですね。「そういうふうにやっています」と言ったら、その留学生の人が非常に喜んでね。「よくわかりました」と。宇宙の心理と自分を間違いなく合わせていることで、判断も誤らないし、健康的にもいいんじゃないかと思いますね。ドレミファソラシドの原型を考えたのはピタゴラスですから、モノコルドという1本の弦の楽器を考え出して、弦の長さを半分にしたら1オクターブになるとか研究したんですね。この楽器を初めは医療に使ったんですって。調和した音を聴かせると人間の中が整っていく。変な音になっているのが病気で、全部音楽だというんですね。音楽には3種類あって、普通に人間が楽器を弾いたりするのはムジカ・インストロメンタリスという。もう一つ重要なのはムジカ・フマーナというもので、人間の鼓動とか血液の循環とか人間が音楽の調和で成り立っている。もう一つは天体の運行自体が音楽だ。ムジカ・ムンダーナと言って、音楽として解釈できる。西洋では音楽は数学ですからね。
町田 最近の研究では細胞に繊毛があって、細胞の中の周波数を決めるらしいんですよ。いい音楽を聞いているとがんが治るという研究が最近出てきたらしくて。なんのがんがどこまで治るか詳しくわかりませんが。
一中 僕は非常に信じられる。音で治せるという。
町田 影響が大きいということまではわかっているんです。
一中 悪い音を聞いていると病気になるというか、よくないですよ。
町田 最近のCDは、音の高い方と低い方を可聴領域じゃないからとカットするじゃないですか。ところが実際の演奏会で聞く音は全く違います。森の中で聞く音も、スピーカーから出すことはできるんですが、記録されていない部分があるらしくて、細胞は高音により反応するという研究もあります。大自然の音を聞いてバランスを保っていたんだろうと。そういうことと近いですかね。
一中 さっき言った『辰巳の四季』という曲で、「松風の音ざざんざの声に乗りくる糸竹や」という言葉があるんですよ。音楽は全部風のそよぎとか波の音、木々の音とかそこから学んだんだということですね。そこから笛の音がして、箏、三味線の音が聞こえてきたということを音楽にしているんですよ。日本の音楽は自然が師匠なんですね。
町田 尺八もまさにそうですね。
一中 本来の尺八は楽器じゃないです。法器(ほうき)といって、仏法の法、修行の道具だった。明治になって仏教がダメになって、尺八の人がお箏の人と結びついた。呼吸によって自然界の理を表すものだった。今でもわだつみ道というのがありますけどね。
町田 面白いですね。
一中 西洋は自然を克服して自然を作り直すという思想があるけれども、日本はそのものの中に生きている。気候風土がそうなんでしょうけれども。京都の野村別邸の庭園を特別に見せていただいたとき、池があって能舞台があって茶室があって、(つくばい)があった。そこに柄杓(ひしゃく)があった。案内の方に、「この風景に合うように置いてください」と言われたんで、当然、斜めに置いたんですよ。ヨーロッパ人に試すとまっすぐに置くということでしたね。
町田 英国庭園がそうで、直線とか三角形とか真円にすることで自然を克服したということになるんですよ。
一中 日本は斜めにおいたほうが収まりがいいって感じですね。明治になって日本の文化を完全に切って、西洋の文化を取り入れて、それが近代化だということになった。切ったことによって文化が根無し草になっている。
町田 よく言えば接木ですが。
一中 元の木がもうないですよ。ヨーロッパはまだありますね。パリ・オペラ座のバレエを見たら、いかにもヨーロッパだなと思う。すべてがね。古代ギリシャからの伝統がそのまま今の文化になっている。日本は伝統とは切られています。和歌に親しまなくなったから日本人が変わってしまったところがある。例えば、和歌には「裏切らないと言ったのに、やすやすと裏切ったわね」というのがあるわけです。「末の松山波越さじとは」とか。そういうのを読んでいると、「昔の人もこんなに裏切られたんだな。ひどい男がいたり、99日求愛して通っても、あと1日というところで死んじゃった男もいたんだな」とか知ることができる。知っていると自分が裏切られても「昔もそういうことがあったよね」と考えて、急にストーカーになったりしないんじゃないか。和歌に親しまなくなったので、いろんな社会の問題が出てきたんじゃないかと思うことがあります。もっと豊かに楽しく幸せになるにはどうするか。一中節の目的は日々幸せを求めることです。富貴(ふっき)の身となる、という言葉が一中節の『猩々(しょうじょう)』にあります。「思うこともなく、また(おもんぱか)ることもなくして、その楽しみ滔々(とうとう)たり」という、心配や思い悩むことなく、毎日楽しいことが湧き上がるように起こっていることが富貴の身である。富だけあっても尊くない。毎日楽しいことしかない、そのために富があるということです。楊子(ようず)の市に出てお酒を売る商売だった高風(こうふう)が「富貴の身になるよ」という夢を見たんですね。高風は「そうなんだ」と信じて疑わずにコツコツ商売を続けたら、だんだん豊かになった。毎回市のたびにお酒を飲んでくれる人がいて、この人がいくら飲んでも一つも酔わない。そして大量にお酒を買ってくれる。「あなたは何者なんだ」と言ったら、「実は私は人間じゃなくて、海の中に住んでいる猩々というものだ」。猩々という字を中国人に見せるとオランウータンだと言うんだけど。海から出てきて酒を飲んでくれる。なんかあの人が来るといいことが起きそうな気がする。ここで「吉兆の相方」というのを弾くと猩々が登場する。これは水の上を歩いている音です。これは出光佐三(いでみつさぞう)さんが大好きだった曲で、それを信じて出光興産が繁栄した。それだけじゃないけど。酒売りの壺に魔法をかけた。猩々が「有難や御身(おんみ)心素直なるによりこの壺に泉をたたえただいま返す」と。言われたことを疑わないでそのままやっていただけのこと。それを言っているわけですね。素直だからというのは、フォレスト・ガンプのように言われた通りに信じてやることです。「富貴の身となるのね」と思った人はそうなる。「そんなことで富貴の身となるなら苦労しねえや」という人はどうぞ苦労してくださいということですね。酒を汲み出した分だけ増えているという泉は、中庸(ちゅうよう)の徳を説いているんです。ディズニー映画に『ファンタジア』というのがあって、「魔法使いの弟子」という曲にアニメーションが付いていますが、あれみたいに、ただ泉が湧きだすだけ湧きだしたら、酒の洪水で死んじゃいます。壺を何万個も仕入れて、「100万個ありますから、全部に泉をたたえてくださいね」というのが今のオイルマネーとかアメリカのオイル資本のやり方ですね。
町田 利息の世界ですね。
一中 高風は売り上げイコール純利益になって、ますます繁栄しちゃった。中庸の徳ですね。中庸というのが一中の中にも通じる極楽浄土の考え方で、ちょうどいい、ということ。お風呂に入ってちょうどいい温度だと「極楽極楽」とつい言っちゃうんですけれども、これが自分の好きな温度より2、3度高ければ熱くて地獄だし、冷たくても地獄だし。ちょうどいい程よいのが人間の幸せで、初め聞いた時には「物足りないな」と思ったけれど、壺100万個あってどんどん売ればどんだけ儲かるかわからない。それは破滅を招くんじゃないかということをこの曲は教えているわけですね。
町田 今の時代こそ必要ですね。
一中 ここに答えがあるじゃないですかと思うんですけど。ただこういうだけの話で済んじゃった。
町田 なので、経営者の方々が惹かれているということですね。論理で納得したというより、体感として、「それだ」と直感的にわかられるということじゃないですか。
一中 これは稽古してみないとわかんないんですよ。「猩々」に、夢を見てだんだん富貴の身になっていくところがあるんですが、「次第次第に富貴の身となりて候」。ちょっと声を出してみてください。「富貴」のところは、だんだん増えていく、成長していく様子、「候」はちょうどいいところで安定的に続くという。これを繰り返しやっているんですね。声を出してみると実感で。
町田 全身で感じるものがありますね。
一中 聞いているだけだと難しいですが、声を出すとわかる。曲は解読する鍵がないと、言葉はわかるけど、解読はできない。『ダヴィンチ・コード』じゃないですけど、稽古することで解読する術が身につくんですよ。そうするとそこから答えを引き出すコードがわかってくる。
町田 体感でわかってくるということですね。
一中 それは僕にはわからないわけです。お弟子さんたちがそうおっしゃるので、お稽古している方は経営者が多いですが、その方達に一人ずつ聞いていないので、それをちゃんと聞いてみると面白いかもしれませんね。自己申告してくれる人しか聞いていないから。
町田 言葉の世界から、私が今やっていますのは、西洋アートに近いものをきっかけにして体感の世界に行っているわけですけれど、さらに和の世界に行きますとコード化されていないもの、体感によってコード化されるものがありますね。西洋とは逆転しているような。これには興味が湧きました。なぜ最近惹かれているのかよくわかってきました。
一中 この前聞いていただいた常磐津の「狐火の段」、あれはわかりやすく楽しい曲で、狐が凍った諏訪湖を渡るところです。諏訪明神の力が入って兜がぴくぴくって動き出すところ、それを伝わってくるように三味線が表現しているんです。
町田 あれもイメージがきれいだったんです。紺色と紫の間のような色が見えて、いろいろな光がバーっと散っていて。そこに真っ白だけど輝いている狐がパッと出てきて。そんなの今まで出てきたことがなかったです。
一中 それは町田さんの感性がすばらしいから。
町田 奏でる力がすごいと思いました。
一中 そんなふうに感じてくださる方がいるんだろうか。論理でない論理というか、確立できない論理が本当の論理かな。世阿弥が言っている最高の芸の境地は「言語道断心行所滅」っていうんですよね。感性の情報処理能力が膨大な量を一瞬にしてやっていると思います。「このように販売して行ったらいいですよ、その根拠はそう思うからです」、というのが正しいと思う。一中節の『松羽衣』は穏やかな春の朝から始まるんです。「そこに雲の浮波立つと見て釣りせで人や帰るらん」って釣りに出てくる人が、「ちょっとだけ雲が、あの雲」と思って帰っちゃう。一人だけ残った人が羽衣を見つける。本題とは関係ないんだけど。とってもいいお天気だけど、今日は海が荒れるから漁に出ないほうがいいとか判断できるのは、ある意味感性ですよね。気象レーダーとかよりもはるかに判断力がある。そういう能力というのは人間にもっとあったと思うけど。
町田 そういう能力をアートが解放してくれる。
一中 そうですね。直感力というのか。
町田 西洋的には、直感は漁師の方が持つパターン認識であって、AIと同じような考えだと思う人もいるかもしれません。私はそれ以上のものだと思っています。パターン認識はもちろんあるんだけど、無意識の下に何か降りてきて、または無意識から何か出てきて、「何かゾワっときたぞ」と、そんな感じですよね。
一中 そこまでAIが感知できるようになったらうれしいな。でも、AIが進化しすぎて人間がそれにやられちゃうという人もいるし、非常に危険だという人もいる。僕はね、もっと進化して、人間があらゆる労働というか面倒くさいことからすべて解放されるんじゃないかと思う。それこそ富貴の身になる。そのためには何が必要かというと、本当に人間が心底善良になることですね。そうでないと、AIが察知してしまう。この音楽の目的は教養なんですよ。教養人になるための音楽です。真の教養人とは何かというと、自分を幸せにして人も幸せにする行動しか取れない人。そういうことしかやれなくなっちゃった人。孔子も言っている「十有五にして学に志す」と通じるんです。あの時代ですから、七十までで終わりなんですけど、「七十にして心の欲する所を行えども(のり)を越えず」。好き勝手やりたい放題やっているんだけど、決して人の道から外れないような人になるために学問をする。これをやったらいけないんだろうかとか思うのは下の下で、やりたい放題やることが、素晴らしい音楽や絵になっている。好き勝手やったって、自分も人も不幸にしないというのが教養人です。
町田 ある範囲で好き勝手に。
一中 そう、自然にその範囲でないと好き勝手ができない人になればいい。そうならないと人類に未来がないと思いますよ。そのためにこういう音楽がある。それは理屈じゃないんですよね。
町田 それは体が知っているんだと思います。
一中 生命体としてもっと進化すればいい。地球外生命体を研究している人がラジオに出ていて、「地球外生命体は必ずある」と。「それは人類より進化している生命体でしょうか」とアナウンサーが質問したら、「人類は生命体として全然進化していません」とその人が言って、「なぜならばお互いに殺し合っているような生物を、地球まで来ている人たちは侵略なんかしない。地球まで来られる技術を持っているなら、そんな必要がない」。そういう存在は神かもしれないですね。
町田 確かに、その必要すらないですね。
一中 人間は進化した生命体じゃないと言い切ったときに、なるほどと思いました。別のアーティストの話ですが、「地球外生命体がコンタクトを求めてきたときに、人間は地球上で一番優れていると思っているから自分のところにくるだろうと思っているけれども、もしかしたらイルカとかサルとかにコンタクトしているかもしれない。優れたのはあっちだということで」と言っていました。
町田 人間は視野にも入らないかもしれないですね。
一中 萬歳が日本の芸能の原点だと言われているんですけれども、それは人の幸せを祈るものなんですよ。萬歳が「おめでとうございます」と言うんですけれども、それは自分が一番幸せになるための簡単確実な方法は、誰でもいいから人の幸せを祈ることだという教えから来たものなんです。知らない人、すれ違うだけの人でもテレビに出ているトランプ大統領でも。トランプ大統領、幸せになってくださいと。あいつとんでもないやつだとか死んじゃえばいいのにというのは自分に回ってくる。誰に対しても幸せを祈ること、それが自分が幸せになる方法だという教えなんです。
町田 音楽とかアートは、その幸せを知るための道具じゃないんですかね。今、わかっていない人がものすごく多くて。
一中 どうやったらわからせることができるのかなと思いますね。
町田 体験、やることですね。
一中 体験していただく機会を増やすには、仲間を増やしていくしかない。今日の対談もそのためのものなんですよね。
町田 自分が大阪の出身なので、漫才のことはある程度知っていたんですが。自分が落ち込んだときに笑いの力が、すごいですと感じますね。
一中 笑いが芸になっているんですよ。これ、お稽古でやるんです。笑うっていうのは、おかしくなくても、息を出すことでできる。笑う数も決まっているんです。「うっはははははは」、と「は」が六つでないとリズムが合わない。それから、この「うっ」というのがないと笑いにならないですね。自分で鏡を見ながらやっていると自然にそうなっちゃう。これは世界共通ですから、ヨーロッパでもアメリカでもやってもらうんですよ。ローマ字で書いてね、「おや萬歳」とやらせるんですよ。嫌なことがあったときに、それを解消するおまじないだというと、みんなやってくれるんです。パラオに公演に行ったときには、帰りに空港にいたら、公演に来てくれたパラオの人が僕の目の前で「おや萬歳」とやってくれて。これは万国共通ですから、これでまず共和党候補も民主党候補もこれをやってから投票に行く。習近平と安倍さんもまず二人でこれをやってから会談する。「おや萬歳」というのは、「あなた一万年長生きしてくださいね」っていうことで、「へへ萬歳」っていうのは「いやあなたこそ」ということ。「あなたこそ」「あなたこそ」と言っているうちに、二人で大笑いしちゃったという、それだけの話。
町田 仲良くなっちゃった。
一中 これ外交には必須のツールだと思う。
町田 ユーモアとか言っているレベルじゃないですね。
一中 強制的に笑うんです。これあんまりやるとバカみたいなんで、あんまりやりたくない。一年に一度、新国立競技場で10万人入るそうですから、二つに分けてね、「おや萬歳」「へへ萬歳」と幸せを祈る。それを世界同時中継する。そうするとなんだか世の中よくなるんじゃないかと。
町田 さざ波のようにね。
一中 どんな宗教にも差し障りがないし。誰に怒られるわけでもない。
町田 アホっぽいことこそ大事ですね。やりたいです。
一中 吉本興業に協力していただいて。
町田 今度、アート思考とAIを組み合わせたものをやってみたいと思っているんですが、そこで笑いから入る、というのはいいかもしれません。
一中 笑いのヨガとか笑いの祭りというのがあるけど、あれは本当の笑いになってないですね。わっはっはっはっは。これ笑いじゃない。あんまり恥ずかしいからやなんですけど、ダンディな僕には合わないですから。
町田 (笑)
一中 そこで笑われても(笑)。経営者の方の業績が上がらないのは、三味線弾きが三味線弾けないのと同じだから、絶対上がらなくちゃいけない。その上でみんなを幸せにするっていうほうが、業績上がるんだよって。芸術文化経済学ですか、昔から提唱している方がいますが、芸術文化を振興するほうが、経済がよくなる。どうもメセナとかって、お金ができたからアートでも買おうか、助成しようかとなると、何がいいんだかわからない。それは手遅れなんですよ。
町田 主従の従になっちゃっているんですね。本当はアートが主なんです。ビジネスの方が利子の世界。必要悪、本当はいらないかもしれない。資本主義というのは。
一中 町田さんのようにアートから入ってコンサルタントになるというのは珍しいですね。
町田 他に出会ったことないですね。
一中 僕の知り合いでボストン・コンサルティングにいる秋池玲子さん。
町田 よく知っています。
一中 秋池さん、もともとソプラノ歌手だったんですよ。
町田 そうなんですか。
一中 ソプラノやってたんだけど、コンサルタントになっちゃった。ちょっと三味線をお稽古していたことあるんですよ。
町田 感性豊かな方ですよね。
一中 元マッキンゼーの大前研一さんの奥様は日本の篠笛も吹かれる。
町田 大前さん本人も歌を歌ってますけどね。
一中 とにかく、自分でやらないとダメです。
町田 聞いているだけじゃ距離がある。やるとわかるんですよ。
一中 やるだけでこんなに幸せになるし。
町田 ワークショップでは、「何も思い浮かばなかったら指に考えさせよう。何か絶対知っているから」みないなことを言うと、急にわーっとなって、全然描けなかった方がどんどん描きだして。ものすごく明るい方が、「自分は暗黒から生まれて一人で死んでいくんです」みたいな、大丈夫かと思うような絵を描くこともある。出てくるんですね。
一中 俯瞰して見るんですね。
町田 普段の「自分が自分が、仕事が仕事が」から逃れられるみたいで、軽くなるんですよね。軽くなると出てくるんです。
一中 離れるというのは共通していますね。
町田 離れていろんなことに気づいて、戻ってくるのもよし、そのまま私の一時期みたいにアートばっかりもよし。
一中 最初はアートに興味があったんですか?
町田 最初は経営に興味があって。理科系だったんですが、法学部に行って、マッキンゼーという経営コンサルティングの会社に行ったんです。6年やると体が「違うよ」と言い出した。「こっちじゃないよね」とアメリカ放浪に行ったんです。インターネットが得意だったので、コンピュータ・グラフィックとか、ユーザー・インターフェースの研究とかきらびやかな世界に行きました。当時はコールド・メールって言って、全然知らなくてもメールを出すと返事が返ってきたんです。2、3年ぐらいの間ですけどね。スタンフォード大学の先生とかにメールを出して、ITの生徒さんとかにお会いして、おもしろそう、やりたいと思ったんですが、全然体が反応してくれなくて。自分のセンサーだけは開放しようと思っていたので、「君は本当にそれがやりたいのか」、となっちゃって。もともと小さい頃から絵は好きで、やりたくてしょうがなかったですが、儲からないだろうなと就職しました。これからの時代のITみたいなのもなんか自分が嫌がっている。現代美術館でピカソの絵を見て、君はこの街で絵を描きなさいというのが降りてきまして、ピカソに言われたらやるしかないだろうと。4年間ニューヨークで絵をやっていました。当時だいぶ金融化されてきれいになって、つまんなかったです。半分はブルックリンとか郊外にこもっていた。そういうところに身を置いて絵を一生懸命描きました。わかってましたけど、やっぱりお金がなくなって、もう一度ビジネスに復帰した。どうしようと悩んでいるうちはダメで、思い切って両方やってます、というと前向きになり出しました。両方やるのでいいじゃないと。
一中 両方できちゃうし。
町田 アーティスト気質が強いので表現の場所としてコンサルティングがあった。思えば高校時代から、誰に頼まれたわけでもないのに勝手にレストランのデザインを描いて、「使ってください」とかやっていた。根っこはアート的というか、作りたいということだと思います。そうこうしているうちに、2年前に、「ヨーロッパとアメリカでアート思考という考えをビジネスに取り入れていこう」というフランスの先生と出会った。「これはアート思考と言えばいいんだ」とわかってから、いろんなお話をいただくようになりました。先日は、『日経デザイン』の記事に出て、連載も決まり、本も出しましょうという話になってきているので、これでいろいろな流れがやっと合流してきたなと、思っています。
一中 自分の中の声が聞けるというのがすばらしいですね。
町田 センサーだけは頑張っておこうと思ったんですね。これを裏切ると自分を裏切ることになるというのがどこかにあって。そしたら降りてきた。
一中 なってくるというのが大事ですね。思っていると向こうからやってくる。自分で図っちゃうとなかなかうまくいかない。こうなったらいいな、と思っていると、そういうエネルギーが出て。妄想だけは描く。絵空事を描いていると、そういう方向にどんどん進んでいって、今日も町田さんにお目にかかれたし。
町田 きっと24世紀の科学では、全部説明できるようになっていると思います。でもそこまで待てないし。僕らの寿命はもっと短い。自分の感性とか感覚を信じることが大事ですね。
一中 自分で想定した通りになっていく。若い方に芸術家としての話をする機会には、「人生って思い通りになるから、気をつけないといけない。ダメなんじゃないかと思うとダメになる」と言っています。思ってる通りになりますから。思うことは自由だし、コストもかかんない。もう一つは志を高くということ。いくら高くてもいいんですよ。それを言っていることで、助けてくれる人が寄ってくる。
町田 最近それを本当に感じますね。アート思考と言い出してから、どんどんいろんな広がりが出てきました。

(終わり)


町田裕治(まちだゆうじ)
1991年京都大学法学部卒業。同年マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。大阪支社、東京支社、ソウル支社、上海支社にて、 IT、ハイテク、インターネット関連プラクティスリーダー。 組織変革、買収案件、都市開発案件など多数。採用・教育担当も長年兼任。ロジャークライン賞受賞。次席共同経営者。その後、株式会社リムネット、ユニゾン・キャピタルなどを経て独立。2013年9月株式会社ボダイ代表として起業。「アート思考」「BCD」などを展開。 企業再生・組織変革コンサルティング、新規事業・IoT/AI事業コンサルティング。京都大学産官学連携本部 イノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門「アーツ・エコノミクス」アドバイザー。大学院大学至善館・ISL経営ゼミファカルティ。2017-18年 東京都顧問、都政改革本部特別参与。画家としてニューヨーク、東京を拠点に活動。1999年ニューヨークにて個展開催。

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日経クロストレンドの記事『発想力を鍛える「アート思考」 デザイン思考との違いとは』記事はこちら

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